ハレー彗星は1986年2月9日に近日点を通過しました。最も有名な周期彗星で、ここで改めて説明するまでもないでしょう。私が初めて彗星を見たのは1985年12月2日、まさに今から30年前の今日です。
私が彗星の存在を知ったのは、確信はありませんが1982年に彗星が検出されたことをテレビニュースか何かで見た記憶があるので、その時かと思います。とはいえ、当時小学3年生だったので後付けの記憶かもしれません。
1985年頃になると、世の中でもハレー彗星が注目され始めました。テレビでも特番が組まれ、多くの関連書籍が出版されて望遠鏡も品薄になったほどです。1986年4月の最接近時はさそり座の南にまで南下した(日本で南中時に高度10度、欧州では地平線下に)ので、オーストラリア行きの観光客が殺到しました。
今も現役の5センチ7倍双眼鏡を買っ(てもらっ)たのは、この1985年の夏で、もちろんハレー彗星観測を念頭に置いていました。まだ彗星ブームは到来していなかったので、店員には「星座を見たい」といって選んだ記憶があります(「彗星を見たい」と言ってたら無知なカメラ店員に望遠鏡を押しつけられていたかもしれません)。実際に彗星を観測し始めてみると、双眼鏡では飽き足りず、結局翌1986年2月に8センチ屈折望遠鏡を買ってもらうことになります。
ところで、1986年のハレー彗星の回帰は条件が悪く、1985年11月末にほぼ衝の位置で地球に接近(第1次地球最接近と呼ばれた)した後、翌86年2月に太陽の向こう側で近日点通過を迎え、4月に南天低い位置で地球最接近(第2次最接近)を迎えました。
彗星の観測に初めてチャレンジしたのは、1985年の11月上旬。東の空に見え始めたおうし座の方向に、星図をたよりに双眼鏡を向けてみましたが、残念ながら見つけることは出来ませんでした。記録を残していなかったので、11月の何日かわかりませんでしたが、当時の雑誌の書き込みや天気から推測すると、11月10日頃だったようです。当時の光度は7~8等で、しかも彗星を見たことはなかったので手持ちの5センチ双眼鏡で見ることは困難だったようです。
彗星は、11月16日頃にプレアデス星団に接近しました。この頃は予想で7等。前週の観測失敗から1等級程度増光してるはずでしたが、まだ暗くて見えないだろうと勝手に判断して(さらには、天頂付近にある彗星をベランダから身を乗り出してみるのは面倒だったので)晴れていたのに、コタツでぬくぬくして結局見ることはありませんでした。翌月の天文雑誌に掲載された見事な星団とのツーショット写真を見て「あの時見ておけば良かった!」と、30年経った今でも後悔しています。
11月27日には一度も彗星を見ることなく第1次地球接近を迎えます。この日は晴れたので、双眼鏡片手に観測挑戦しましたが、強い満月光と低い透明度のために見ることは出来ず。またしても初観測は持ち越されました。
そして迎えた1985年12月2日。満月が去り、冬空で透明度は良好でした。星図をたよりに双眼鏡で頭上のうお座の方向の星空を探すと・・・「!!」ものの1、2分で丸い雲が見つかりました!人生で初めて見る彗星です。ほんの数日前まで見えなかったのが信じられないぐらいはっきりしていて、中心には恒星状の核があります。既に6等級に達していました。
この時の彗星の姿は今でも脳裏に焼き付いていますが、観測から数年後に手に取った「彗星ガイドブック(関勉著)」の裏表紙に掲載されていた彗星の写真が、まさにこの時のハレー彗星の姿にそっくりで驚きました(1975年の小林・バーガー・ミロン彗星です)。
12月以降は冬晴れに恵まれ、特に1月はほぼ連日彗星を見ることが出来ました。晴れている日は透明度の善し悪しにかかわらず毎日ベランダ越しに見たので、うお座からみずがめ座に至る彗星経路の星の配列は今でも覚えていて、星雲星団や彗星を見る際、この付近に双眼鏡を向けるとハレー彗星のことを思い出します。
1月下旬、いったん西空低く彗星は姿を消します。その後8センチ屈折望遠鏡を手に入れて、2月下旬、9日に近日点を通過した彗星が明け方の東の空に姿を現すのを待ちかまえました。2月25日早朝、冬晴れの透明度の空の元、既にオレンジ色になった地平線付近の空を双眼鏡で探すも、明瞭な姿を見いだすことは出来ず(彗星状の雲があった)、翌26日に彗星と再会します。
3月に入ってからは毎朝早起きして天気を確認するのが日課となりました。いよいよ彗星らしい尾を引いた姿で楽しむことが出来ましたが、それも双眼鏡あっての観測で、肉眼では一度だけ目をこらしてようやく見れたという程度でした。4月以降は天候も悪化し、思うような観測は出来ず、数少ない晴天をぬってなんとか観測数を稼ぎました。既に彗星ブームが去った6月をもって彗星を見送りました。
この年の夏休みは(ほかにアイデアが浮かばなかったので)ハレー彗星の観測を夏休みの自由研究の宿題に決めました。夏休みにはもう見えてなかったものをテーマにするのは如何なものかと思いましたが、意外にも市内での賞を取って県レベルまで行ってしまいました。
半年以上に渡って、約50回も彗星を見ましたが、まだちゃんとした光度観測の知識もなかったし、写真を1枚も残さなかったので(家には一眼レフもあり、三脚さえ買っていれば撮れたのですが、天体写真を始めたのはその半年後でした)今にして思えばいろいろと心残りもあります。しかし、もしあと2年生まれるのが遅かったら、自力で彗星を見つけることは出来なかったでしょうし、逆に2年早く生まれていたら次の2061年の回帰まで生き抜くことはできないかもしれません。
光度観測のまねごともしました。「全光度」「集光度」の区別も付かない程度の知識しか持ち合わせていなかったので、かなり適当に決めていましたが、それでも近日点前の急増光と、近日点後の光度変化は追えました。彗星が去りゆく5~6月になってようやく光度観測に慣れてきた気がします(グラフ中、薄い青のプロットはCOBSに掲載されている観測値)。
一応、近日点前はm1 = 4.9+5logΔ+13.9 log r、近日点後はm1 = 3.6+5logΔ+9.2log rの光度式が得られました。
ちなみに、この光度式を元に2061年の回帰条件を予想すると、2061年の4月に11等級(5月頃に太陽と合なので、夕空低い)、6月半ばには6等級に達し、近日点通過の7月末頃には0等級まで明るくなります(太陽離角は20度しかありませんが、太陽の北側を回り北半球で朝晩に見ることが出来ます)。9月までは6等級以上、さらに年をまたいで2062年始めまでは10等級以上を保ち、望遠鏡で観測できることになります。