(過去の彗星を思い出して更新するシリーズ)
20世紀末の大彗星として前年の百武彗星C/1996 B2とともに、記憶に残っている方も多いでしょう。私にとっても特に思い入れのある彗星で、スケッチ枚数は最終的に100枚以上に達しました。
そのヘール・ボップ彗星が発見されたのは1995年7月。当時の私にとって最大の彗星はハレー彗星だったので、1等級の大彗星が現れる!と報じられてもいまいち実感がわきませんでした。
発見当時は彗星の動きが遅かったため、なかなか軌道が決まらず、本当に明るくなるか不確実だったようです。しかし、1993年4月の写真観測が見つかったことで(観測期間が大幅に伸び)軌道が確定し、大彗星となる可能性が高まりました。
私が最初に大彗星発見の一報を知ったのがマスコミだったか、天文雑誌だったかは忘れましたが、ともかく、夕方の南に低い空を8センチ屈折で必死で何回か探しました。いくら明るいと言っても約10等。簡単には見えてきません。
何度か挑戦して、10月になってかろうじてそれらしい姿を捉えましたが、実感に欠けるものでした。この時は同じ空に122P/1995 S1デ・ヴィコ彗星と、分裂・バーストした73P/シュワスマン・ワハマン第3彗星が、さらに明け方にはブラッドフィールド彗星C/1995 Q1が見えていました。
1995年の末には一旦太陽との合を迎え、1996年2月、早朝の東の空に姿を現しました。光害の多かった夕空に比べると明らかに見やすくなり、ここからが本格的な観測スタートです。この時は折から接近中だった百武彗星C/1996 B2に加え、もう一つの百武彗星C/1995 Y1、さらにシェパンスキ彗星C/1996 B1と4彗星も同時に見え、観測時間の割り振りにも困りました。
1996年のヘール・ボップ彗星は、木星軌道から接近中で、じわじわと明るくなって来ていましたが、期待した程の増光は示さず、大彗星への見通しにわずかながらの不安もありました。
彗星の姿は、鋭い中心核と透明感のある独特なコマが印象的で、これは(水ではなく)COの蒸発によるものだったのかも知れません。スケッチ画像を整理して気づきましたが、尾の伸びる方向が反太陽方向から時計回り方向にずれていました。ダストの尾が曲がっていたため、その根元を見ていたせいかもしれません。
1996年の夏には同じ空に22P/コップ彗星、ブレウィントン彗星C/1996 N1、秋にはテイバー彗星C/1996 Q1が姿を現しました。1年12ヶ月間ずっと見え続けていたため、若干飽きが来て、もう永久にヘール・ボップ彗星が居続けるんじゃないかと思えるほどでした。
そして、いよいよ迎えた1997年。正月3日には早くも東の低空に4等級の尾のある姿で見え始め、すぐに肉眼でも見えるように。2~3月には夏の大三角の下に同じ1等星の彗星が並び、さながら「夏の大四角形」のようでした。唯一残念だったのは、彗星が太陽の向こう側にあり遠かったこと。高度も低く、小さい姿に終始してしまいました。光度はマイナス1等に達しましたが、大気減光を考慮した数値で、実際の印象としては1~2等級にとどまりました。
普段はスケッチしか描きませんが、めったにこない大彗星なので記念写真も撮りました。すべて標準レンズの固定撮影でしたが、24枚撮りフィルムで3~4本使いました。まだデジタルカメラが普及しておらず、フィルム現像に1日+1本1000円以上かかった時代です。掲載したもの以外にも、彗星をバックに自撮りした写真や、しだれ桜と一緒に撮ったものもあったはずですが、発見できませんでした。
1997年3月10日。写真プリントは20年でだいぶ退色。
双眼鏡では淡いイオンの尾と拡がるダストの尾、そしてコマ付近の三角形が印象的で、望遠鏡では核付近のスパイラル構造が見られました。これら眼視で見える姿は、写真で見る姿とはかなり異なるものでした。
このうち、核付近のスパイラル(渦巻き)構造は3月初旬から見えだしました。当初は直線に近い縞々模様だったものが、3月下旬にはオレンジ色の渦巻状を呈するようになりました。この記事を書くにあたって、北を上に加工したスケッチ画像を並べて気づきましたが、(尾の方向角が次第にずれていくのに)この渦巻の方向は常に位置角約220~240°(南西・右下)に向かって拡がっているように見えます。おそらく、彗星核の自転軸の方向と思われますが、このような構造がわずか8センチ屈折望遠鏡でも見ることができました。さすが大彗星です。ヘール・ボップ彗星が明るかったこの時期は、81P/ヴィルト第2彗星が深夜の空に見えていました。
1997年5月を最後に、彗星は南下し視界から去っていきました。一般的には。しかしながら、この年の秋にもう1回チャンスが訪れます。太陽から離れ、とも座にまで南下した彗星が東の超低空に出現。この時の光度は約7等。大彗星の面影はありませんが、それでも充分な明るさです。高度は最大でも10°で、観測は困難を極めました。この時期の夕空には宇都宮彗星C/1997 T1が見えていました。
彗星はさらに南下し、11月には赤緯が-50°を超え、日本からは完全に姿を消しました。初観測から最終観測までまる2年以上。非周期彗星としては異例の長さです。南半球ではさらに数ヶ月長く見えていたはずです。ヘール・ボップ彗星が去った直後には103P/ハートレー第2彗星と55P/テンペル・タットル彗星がやってきました。
私の観測からの光度式は、m1 = -0.63+5logΔ+9.23 log r(n=120)で、標準等級がマイナスでした。log rの係数は10を下回ったものの、安定して増光したことがわかります。計算上、標準等級がマイナスになる彗星はたまにありますが、すべて近日点距離が2au以上の遠いもので、r=1auで実際に絶対光度がマイナスになった彗星は(おそらく)前例がありません。
COBSのサイトから取った1995年10月から1997年末までの光度はm1 = -0.65+5logΔ+8.34 log rで、同期間の観測数は1万4300以上もありました。私の1996年中の見積もりが暗めなのは、拡散したコマの中心しか見ていなかったためかもしれません。
彗星の観測は、2006年(約19等)を最後に報告されていません。減光ペースが変わらなければ、計算上は今現在(2018年)も、23等級ほどで見えているはずです。誰か大望遠鏡を使って試してくれないものでしょうか。。