ボレリー彗星は近日点距離が1.3auほどの典型的な木星族の周期彗星です。近年は周期の端数が0.8~0.9年のため、好条件の回帰が数回続いたあとは、悪条件の回帰が何回か続きます。20世紀初頭に発見された歴史のある彗星ですが、1939年から1974年にかけては周期の端数が0.0年で且つ悪条件の回帰が続いたため、1981年まではあまりメジャーな彗星ではなかったようです。
私が初めて彗星を見たのは1987年の回帰。当時ハレー彗星とブラッドフィールド彗星(1987s)に次いで3番目に見た彗星で、特に木星族の短周期彗星としては初めてだったため印象に残っています。短周期彗星は暗いものばかりというイメージがあり、あまり期待しないで望遠鏡を向けましたが、意外と明るく良く見えたので驚いた記憶があります。
1987年の回帰
旧仮符号1987p=確定番号1987ⅩⅩⅩⅢ。近日点通過(12月18日)の直前に、くじら座で急速に北上してきたところを捉えたのが最初でした。光度からすればもう少し早く見ることが出来たはずですが、天文雑誌のコーナーで知ってから見たのと、まだ南に低かったこともあって初観測が12月中旬になったのでしょう。比較的集光があり恒星状の核が輝いていたのが印象的で今でも記憶にあります。当時夕方の空にはブラッドフィールド彗星(旧仮符号1987s)も見えていて、この2彗星を(さらに年末にはマクノート彗星1987b1も加わり)ずっと追っていました。
当時は、光度目測は適当に勘で見積もるだけの方法(いわゆるフィーリング法)で、今見返すとかなり不正確でばらつきも大きいものですが、近日点距離に依存して急激に増減光するタイプらしい、ということはわかりました。いくつかの観測を再検討して光度式を見積もるとm1 = 6.5+5logΔ+33 log r の値が得られました。標準等級はもう少し明るいかもしれません。
1994年の回帰
旧仮符号1994l=確定番号1994ⅩⅩⅩ。1987年に次ぐ好条件の回帰で、1987年の25枚を上回る、27枚のスケッチを描きました。だいぶ前から狙っていたはずですが、初観測は近日点通過日の2週間前でした。急速に増光するタイプの彗星のようです。近日点通過後には8等台に達して見えました。
この回帰では彗星のコマが変形して強く潰れた形が写真等で捉えられましたが、観測している時はそんなことはまったく想像してなかったので、ただの円形のコマとしてスケッチしていました。小口径8センチだったせいもあるでしょうし、「コマは円形」という先入観がそうさせたのかもしれません。今後の観測の反省材料ともなった彗星でした。
光度も、まだフィーリング法で行っていたので測定値にばらつきがありますが、ほかの恒星との比較をスケッチに残していたので(当時は正確な恒星の光度を知るための星表を持っていなかったので)、今回の記事を書くに当たって一部の観測を再検討しました。光度式はm1 = 8.1+5logΔ+18 log r で、やはり光度変化の激しい彗星のようでした。この回帰も標準等級はもう少し明るいかもしれません。光度のピークをずらして計算すると、近日点通過の8日後頃に光度のピークがくる式が得られました。
2001年の回帰
前2回と比べると観測条件が悪くなり、明け方の空で太陽の向こう側で近日点通過を迎えるようになりました。観測数は4個。近日点前の8月の観測が、近日点後の3つより明るめに観測されました。他の観測者の報告等によると実際に近日点前には明るく観測されていたようです。近日点後のみの3つの観測からはm1 = 5.6+5logΔ+34 log r、すべての観測からはH20=7.5でした。
この年には探査機「ディープスペース1」が接近して、細長いボレリー彗星の核が撮影されました。
2008年の回帰
いよいよ観測条件が悪くなり、明け方の低空でようやく1回だけ見ることが出来ました。近日点通過1ヶ月以上あとの観測で、標準等級を推定するとH20=5.5、H15=6.4でした。
2015年の回帰は、完全に太陽の向こう側で太陽離角が10度未満しかありません。太陽から離れて明け方の空に見え出す9月中旬には、楽観的に見ても12等級以下(H15=6.4)となっているでしょう。2022年の回帰では夕空に10等級程度(H20=7.5)で見え、2028年には好条件で7等台(同)に達するようです。