アルファベットだと45P/Honda-Mrkos-Pajdušáková。長い名前の彗星です。近年では原音に近いといわれる「本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー」彗星とする表記の方が多くなっています。スロバキア語は(日本語と同じく)母音の長短を区別する言語なので、長音記号まで含めて表記するのが正しいようです。ただ、歴史的には「本田・ムルコス・パジュサコバ」彗星が長らく使用され、インターネット以前の文献でもほぼこの表記でしたので、ここでは馴染みのある名称を使用しています(そのうち変えるかも知れません)。

この彗星の存在を初めて意識したのが1990年の回帰の時です。ただ、予報光度が暗かったこともあって観測はせず、その回帰を報じた頃の天文雑誌で第一発見者の本田先生の訃報を知り、いつかこの彗星を観測したいと思ったものです。

その願いは次の1995年の回帰で叶えられました。太陽接近時には集光の非常に強い姿として捉えられ、一旦視野から外れましたが、地球接近時には今度は拡散した大きな姿として見ることが出来ました。軌道傾斜角が小さく、地球や木星と交差しているので頻繁にこの2星に接近し、軌道要素も大きく変わるようです。現在はq=0.53au程度ですが21世紀末には0.68auまで拡大するようです。

当時の私の観測からは、m1 = 14.01+5logΔ+19.9 log rの結果が得られました。また、コマ視直径は近日点通過頃でも地球接近頃でもほぼ変わらず0.001~0.0015auでした。2P/エンケ彗星同様、近日点通過頃は集光が強く(地球接近頃の)r=1auまで遠ざかると拡散するのがこの彗星の特徴です。

0045P-1995mag.png

2001年の回帰は記憶にありません。春頃に夕空で見えていたはずですが、9等以下であまり明るくなく天候が悪かったのかもしれません。2006年の回帰は太陽に近く、世界的に観測数が少なく私も見ることはできませんでした。

2011年の回帰の初観測は今でもよく覚えています。薄明が迫る中、なかなか東の空の屋根の上に姿を現さないので、少し歩いて低空の見渡せるところまで双眼鏡を持って探したところ、恒星状のこの彗星を発見し、しばらくして望遠鏡が設置してあるところまで戻って、ようやく屋根の上に姿を現したところを観測出来ました。観測はわずか3日で終わってしまいましたが、m1 = 13.3+5logΔ+21.7 log rという、1995年とあまりかわらない光度パラメータが得られました。この回帰では近日点通過前に地球に0.06auまで大接近しましたが彗星自体は増光前だったようです。

2016年12月末の回帰は1995年と似たような回帰条件でした。近日点通過前には夕方の西の低空にあり、12月初旬に11等以下から1日で(私の観測では)一気に9等まで増光。近日点通過後(12月31日)も増光を続け、6等台に達し5cm双眼鏡で見えるほどでした。

1月下旬には一旦太陽と重なる"内合"を迎え、2月に入ると、明け方の東天に姿を現しました。近日点前の強い集光の姿からは一変した拡散した姿で、地球に向けて一直線に接近。一気に天頂付近まで駆け上がり、2月11日頃に0.08auの地球最接近を迎えました。接近するにつれ、20cm望遠鏡でも非常にかすかな淡い姿がさらに拡散してしまいましたが、小口径の単眼鏡でも見えるとの報告があり、半信半疑で5cm双眼鏡を向けるとかすかなコマがわかりました。全光度としては7等程度あっても非常に拡散していて、この時期の光度報告はかなりばらついてしまっています。満月の時期と重なってしまいましたが、冬の透明度に助けられました。回帰前には、ここの記事に

コマ直径は満月大に達するかも知れません。

と書きましたが、実際に観測したコマ視直径は最大25'に達しました。

0045P-2016mag.png

この回帰で得られた光度式は、m1 = 12.32+5logΔ+16.64 log rで、1995年より明るいものでしたが、1995年当時の方がやや暗めに見積もっていたせいかも(特に地球接近時)しれません。光度自体は近日点の前後で対照的でした。

観測一覧はこちら。

  • 作成(公開前):
  • 最終更新: