C/2013 R1 (Lovejoy) ラヴジョイ彗星

一時は行方不明になった新彗星。

2020年1月9日朝、徳島県の岩本雅之氏によって12.8等級で発見された新彗星です。発見直後に国立天文台に報告され、PCCP(The Possible Comet Confirmation Page)にもIF033として情報が掲載されたため、確定前に多くの観測者によって捜索されました。

ところが、発見観測から得られたモーションが不正確だったこともあり、誰も観測に成功しないまま数日が過ぎ、天文界隈では、もはや「発見自体が幻なのでは」と絶望的な雰囲気に包まれました。

結局、4日後の13日になってクリミアのボリソフ(Gennady Borisov)によって独立発見されたため、新彗星として確定しました。近日点を通過した直後の発見でした。

当初は微光彗星でしたが、太陽に近い低空から北天に高速で移動し、拡散しながらも大きなコマの彗星として見ることが出来ました。2月下旬には0.91auまで地球に接近しました。

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地球接近後は、さらに拡散して急速に減光してしまい、私の観測数は2個に終わりました。

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2005年発見の短周期彗星。

2005年に発見され、2012年に検出された比較的新しい短周期彗星です。前回2012年回帰では、比較的明るい最大11等級で観測されました(私は見ていません)。

今回2019年の回帰も条件が良く、折りから接近中だったC/2018 N2アサシン彗星に(見かけ上の)大接近し、同じ明るさで望遠鏡の狭い視野内に入りました。写真では尾が伸びる興味深い姿でしたが、眼視では小さく微光の彗星でした。

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次回の回帰は2026年8月ですが、今回よりやや遠い接近となり(近日点通過後に⊿=1au程度)、12~13等にとどまりそうです。

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q=3auの彗星。

超新星や新星を発見しているASAS-SNによって発見された彗星です。彗星としては微光で近日点通過の2019年末でも11等以下でしたが、近日点距離が3au以上あり、彗星自体は大型です。2019年9月には、260P/マクノート彗星に見かけ上の大接近をし、尾を伸ばした2つの彗星が並ぶ写真が多数ネット上にも公開されました。眼視的に見える彗星が大接近するのは珍しいことです。

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遠方を移動する彗星のため、長期間に渡って一定の光度を保っていますが、私が見たのは近日点通過の直前までで、それ以降は西の空に低くなったため見ることは出来なくなってしまいました。2020年4月現在も14等程度の光度を保っていて、あと数年は観測できそうです。

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急速に南下していった双眼鏡的彗星。

2018年12月に発見された彗星です。当初は小惑星として報告されましたが、彗星型の軌道が求まり、形状観測から彗星として公表されました。

北天で明るくなり、2019年9月の近日点通過後には地球に接近し、8等級程度まで明るくなりましたが、急速に南下して視界から消えていきました。

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私にとっては、久しぶりの彗星でしたが、悪天候続きだったこともあり観測数は多くありません。地球接近時のピークは逃してしまいました。

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微光の周期彗星。

1989年に発見された微光の短周期彗星です。ウェスト(Richard M. West)が1枚のプレート上から発見した彗星状天体を、ハートレー(Malcolm Hartley)が再発見して連名の彗星名となったようです。

今までに数回回帰しましたが、周期の端数が0.5年なので1回おきに条件の良い回帰があり、今回は2004年以来の好条件となったようです。2004年の時は13等前後でしたが、私は見ていません。

あまり今回の回帰は気に留めていませんでしたが、海外で集光した12~3等の眼視観測の報告があったので、ダメ元で挑戦してみたところ、意外にも見ることが出来ました。とはいえ、微光で小さく、20cmクラスの限界であったことには違いありません。近日点通過時に衝の位置、しかも天頂付近という最良の条件に恵まれました。

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COBSの報告値を用いて光度式を求めると、光度のピークを近日点通過の約2ヶ月後にすれば光度変化がよく表現できるようです。私の観測は3月が最終でしたが、一番明るくなっています。3月以降は天候に恵まれませんでした。

周期は7年半ですが、次に今回並みの条件が良い回帰は、2042年まで待たなければならないようです。

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夜空を一気に駆け抜けた双眼鏡彗星

2018年の年末に発見された新彗星です。岩本氏は先月のC/2018 V1に続く発見で、発見情報が流れた際には、V1の発見と勘違いする人もいたほどです。私個人的には、前回の「岩本彗星」(C/2013 E2)は微光で見ることができなかったので、約6年ぶりにその雪辱を果たせました。

発見時は明け方の空にありました。地球に向かってまっすぐ接近中で見かけ上ほとんど移動していなかったため、軌道が確定するまで時間がかかりました。一時は地球に0.1auまで大接近する軌道も計算され、大いに期待されましたが、結局0.3auに接近する軌道に落ち着きました。それでもこの彗星としては最良の条件で、地球とすれ違うようにして大きく移動する様子が楽しめました。

私が初めて見た頃は拡散した微光の姿でしたが、急速に接近し、衝の位置で最接近した頃には双眼鏡でも6等星として楽しめました。海外では肉眼でも見られたようです。

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再発見された『スイフト』彗星

1889年にL. Swiftにより発見された歴史ある周期彗星で、当初は「スイフト彗星」と呼ばれていました。1895年にはSwiftが別の周期彗星を単独発見したため、以降「スイフト第1彗星」と改称されましたが、1回のみの出現の後は姿を見せず行方不明となりました。1973年にTom Gehrelsにより発見された微光の彗星が、この彗星の再発見であることが判明し、以降は「スイフト・ゲーレルス彗星」と呼ばれています。

2018年の回帰は、近日点を通過する11月頃に地球に0.4auまで接近する好条件で、9等級程度に明るくなる予報も出されていましたが、同じ時期に46Pや38Pも回帰するため、あまり注目されていませんでした。ところが、8月になってバーストを起こしているとの情報があり、観測を試みたところ、数回挑戦した後、見ることができました。

拡散した姿でしたが、実際に9等級まで明るくなりました。海外では8等台の報告も多かったようです。拡散した大きなコマを含めると明るく見積もられるのでしょう。近日点に近づくと急激に明るくなるタイプのようで、今回もバースト的増光として捉えられました。

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急増光後の光度観測からは、私だけの値からも、COBSの報告値からも、近日点通過後約2ヶ月後に光度のピークが来る光度式が得られました。

2018年の回帰は前後100年で最高の条件でした。2028年、2036年の回帰では1auより近づきませんが、2046年には地球に0.5auまで接近するようです。

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周期38年の歴史的彗星

38P/ステファン・オテルマ彗星は、1867年にフランスのコッジア(Jérôme Eugène Coggia)が未知の銀河として発見、ステファン(Édouard Jean-Marie Stephan)は彗星として独立発見しました。約40年の周期が計算されましたが、次回の回帰には検出されず、もう1周した1942年にフィンランドのオテルマ(Liisi Oterma)が再発見しました。現在では第1発見者のコッジアではなく、ステファン・オテルマの連名で呼ばれる彗星となっています。

1925年版「理科年表」では「1867Ⅰ(コッジア彗星)」として記載されていますが、再発見を報じる1943年発行「天界」では「ステファン星」とされているので、当時は学者の間で統一的な名称が定まっていなかったのかもしれません。なお、この時の天界に記載されている"天王星族の彗星として2回以上の再歸が發見されたものは,ボン・コジャ星1818Ⅰと"の「ポン・コッジア彗星」は、のちの「27P/クロンメリン彗星」です。

前回の近日点通過は1980年で、私がまだ小学生だったので見ることはできませんでした。図鑑などで、かに星雲M1に接近するこの彗星の写真などを見ながら、いつか見られるかもしれないこの彗星に思いを馳せることもありました。

そしてついに訪れた2018年。この回帰も条件が良く、夜半の空高く9等級の明るさで見られる予報です。同じ時期に46P/ウィルタネン彗星も大接近する予報でしたが、個人的には38Pの方を期待していました。

初観測は9月。12等の微光でかろうじて光斑として確認できる程度でした。これからもっと増光して見やすくなる・・・と期待しましたが、結果的には10等止まりの小ぶりな姿に終わりました。それでも、条件の良いときには短い尾が伸びる様子は楽しめました。

最終観測は1月末。2月以降も光度的には見られたはずですが、天候の悪い日が多く、「まだ見られる」と思って観測をサボっていた間に視界から去ってしまい、尻切れトンボのような形で最終観測を迎えてしまったのは少々心残りです。

予報より光度は1等ほど暗めでしたが、COBS報告値でもほぼ同じ傾向でした。私のみの観測値とCOBS全体の値から導いた光度式は、数値上では大きく違いますが、グラフに描画してみるとほぼ同じです。

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次回の回帰は2056年8月。今回ほど条件は良くなく、近日点通過後に明け方の空低く11等で見られる程度かもしれません。5年後にはハレー彗星も控えているので、病気と事故に気をつけながら長生きしたいと思います。

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3名連名の新彗星

2018年11月8日の明け方(JST)の低空に発見された彗星です。当初は日本人2名による発見情報がネット上で伝えられ、約1日後には暫定名称DM001の天体として、マックホルツ氏による発見観測も公表されました。数日間は軌道が定まらず、一時はC/1870 W1(ウィンネッケ彗星)との類似性も指摘されましたが、12日になってようやく、MPECで3名連名の彗星「マックホルツ・藤川・岩本彗星」として発表されました。

近年では彗星名は2名までとされているため、3名連名の彗星名は異例です。さらに、眼視捜索による彗星発見はC/2010 F4(マックホルツ彗星)以来8年ぶり日本人による(彗星名のついた)発見はC/2013 E2(岩本彗星)以来5年ぶりでした。

軌道は12月3日に0.38auの近日点を通過する放物線軌道で、肉眼彗星に成長する可能性もありましたが、小型の彗星のため消滅する可能性がありました。発見以来なかなか晴れてくれず、初めて見た1週間後までは落ち着かない日々が続きました。

結局太陽に最接近するまで私は3回しか見ることができず、彗星も衰弱して行ってしまいました。それもわずか8日間だったので、複数回見られただけでも幸運だったかもしれません。

標準等級は11~12等で消滅が危惧されましたが、他の観測によると、彗星は近日点後も完全消滅はせず、かろうじて生き残ったようです。グラフ画像の観測値はCOBSに報告されたものです。

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淡く、複雑な尾が捉えられた彗星。

2017年の冬から2018年にかけて、深夜~夕空に見られた彗星です。当初は微光で、あまり注目していませんでしたが、2017年の10~11月頃に明るめの観測報告が入るようになりました。写真でも集光の強い姿が紹介されたため、私も挑戦してみたところ、眼視でも集光した姿が見つかりました。

当初はごく微光でしたが、急速にコマが拡大し、さらに写真では複雑に入り組んだ見事の尾が、ネットでも公開されるようになりました。COBSでは9等台の報告もありましたが、私の印象では、非常に淡く11等程度のかすかな姿に終始しました。COBSの報告値も2等級程度のばらつきがあります。

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地球から遠ざかり、夕空に低くなったため(5月の近日点通過を前にして)、私の観測は2月が最後でした。

この(2018年)秋以降、太陽から離れ北上するため、もしかしたらもう1回チャンスがあるかも知れませんが、r=3auを超えているため、眼視では厳しいでしょう。

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世紀の巨大彗星

(過去の彗星を思い出して更新するシリーズ)

20世紀末の大彗星として前年の百武彗星C/1996 B2とともに、記憶に残っている方も多いでしょう。私にとっても特に思い入れのある彗星で、スケッチ枚数は最終的に100枚以上に達しました。

IMG_1899.JPG ヘール・ボップ彗星だけでファイル1冊分に。

そのヘール・ボップ彗星が発見されたのは1995年7月。当時の私にとって最大の彗星はハレー彗星だったので、1等級の大彗星が現れる!と報じられてもいまいち実感がわきませんでした。

発見当時は彗星の動きが遅かったため、なかなか軌道が決まらず、本当に明るくなるか不確実だったようです。しかし、1993年4月の写真観測が見つかったことで(観測期間が大幅に伸び)軌道が確定し、大彗星となる可能性が高まりました。

私が最初に大彗星発見の一報を知ったのがマスコミだったか、天文雑誌だったかは忘れましたが、ともかく、夕方の南に低い空を8センチ屈折で必死で何回か探しました。いくら明るいと言っても約10等。簡単には見えてきません。

1995O1_000.0.jpg 1995年8月の最初のスケッチ(見えなかった)

何度か挑戦して、10月になってかろうじてそれらしい姿を捉えましたが、実感に欠けるものでした。この時は同じ空に122P/1995 S1デ・ヴィコ彗星と、分裂・バーストした73P/シュワスマン・ワハマン第3彗星が、さらに明け方にはブラッドフィールド彗星C/1995 Q1が見えていました。

1995年の末には一旦太陽との合を迎え、1996年2月、早朝の東の空に姿を現しました。光害の多かった夕空に比べると明らかに見やすくなり、ここからが本格的な観測スタートです。この時は折から接近中だった百武彗星C/1996 B2に加え、もう一つの百武彗星C/1995 Y1、さらにシェパンスキ彗星C/1996 B1と4彗星も同時に見え、観測時間の割り振りにも困りました。

1996年のヘール・ボップ彗星は、木星軌道から接近中で、じわじわと明るくなって来ていましたが、期待した程の増光は示さず、大彗星への見通しにわずかながらの不安もありました。

彗星の姿は、鋭い中心核と透明感のある独特なコマが印象的で、これは(水ではなく)COの蒸発によるものだったのかも知れません。スケッチ画像を整理して気づきましたが、尾の伸びる方向が反太陽方向から時計回り方向にずれていました。ダストの尾が曲がっていたため、その根元を見ていたせいかもしれません。

1996年の夏には同じ空に22P/コップ彗星ブレウィントン彗星C/1996 N1、秋にはテイバー彗星C/1996 Q1が姿を現しました。1年12ヶ月間ずっと見え続けていたため、若干飽きが来て、もう永久にヘール・ボップ彗星が居続けるんじゃないかと思えるほどでした。

そして、いよいよ迎えた1997年。正月3日には早くも東の低空に4等級の尾のある姿で見え始め、すぐに肉眼でも見えるように。2~3月には夏の大三角の下に同じ1等星の彗星が並び、さながら「夏の大四角形」のようでした。唯一残念だったのは、彗星が太陽の向こう側にあり遠かったこと。高度も低く、小さい姿に終始してしまいました。光度はマイナス1等に達しましたが、大気減光を考慮した数値で、実際の印象としては1~2等級にとどまりました。

普段はスケッチしか描きませんが、めったにこない大彗星なので記念写真も撮りました。すべて標準レンズの固定撮影でしたが、24枚撮りフィルムで3~4本使いました。まだデジタルカメラが普及しておらず、フィルム現像に1日+1本1000円以上かかった時代です。掲載したもの以外にも、彗星をバックに自撮りした写真や、しだれ桜と一緒に撮ったものもあったはずですが、発見できませんでした。

1995O1_19970310T0445_15s.jpg 1997年3月10日。写真プリントは20年でだいぶ退色。

双眼鏡では淡いイオンの尾と拡がるダストの尾、そしてコマ付近の三角形が印象的で、望遠鏡では核付近のスパイラル構造が見られました。これら眼視で見える姿は、写真で見る姿とはかなり異なるものでした。

このうち、核付近のスパイラル(渦巻き)構造は3月初旬から見えだしました。当初は直線に近い縞々模様だったものが、3月下旬にはオレンジ色の渦巻状を呈するようになりました。この記事を書くにあたって、北を上に加工したスケッチ画像を並べて気づきましたが、(尾の方向角が次第にずれていくのに)この渦巻の方向は常に位置角約220~240°(南西・右下)に向かって拡がっているように見えます。おそらく、彗星核の自転軸の方向と思われますが、このような構造がわずか8センチ屈折望遠鏡でも見ることができました。さすが大彗星です。ヘール・ボップ彗星が明るかったこの時期は、81P/ヴィルト第2彗星が深夜の空に見えていました。

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1997年5月を最後に、彗星は南下し視界から去っていきました。一般的には。しかしながら、この年の秋にもう1回チャンスが訪れます。太陽から離れ、とも座にまで南下した彗星が東の超低空に出現。この時の光度は約7等。大彗星の面影はありませんが、それでも充分な明るさです。高度は最大でも10°で、観測は困難を極めました。この時期の夕空には宇都宮彗星C/1997 T1が見えていました。

彗星はさらに南下し、11月には赤緯が-50°を超え、日本からは完全に姿を消しました。初観測から最終観測までまる2年以上。非周期彗星としては異例の長さです。南半球ではさらに数ヶ月長く見えていたはずです。ヘール・ボップ彗星が去った直後には103P/ハートレー第2彗星55P/テンペル・タットル彗星がやってきました。

私の観測からの光度式は、m1 = -0.63+5logΔ+9.23 log r(n=120)で、標準等級がマイナスでした。log rの係数は10を下回ったものの、安定して増光したことがわかります。計算上、標準等級がマイナスになる彗星はたまにありますが、すべて近日点距離が2au以上の遠いもので、r=1auで実際に絶対光度がマイナスになった彗星は(おそらく)前例がありません。

COBSのサイトから取った1995年10月から1997年末までの光度はm1 = -0.65+5logΔ+8.34 log rで、同期間の観測数は1万4300以上もありました。私の1996年中の見積もりが暗めなのは、拡散したコマの中心しか見ていなかったためかもしれません。

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彗星の観測は、2006年(約19等)を最後に報告されていません。減光ペースが変わらなければ、計算上は今現在(2018年)も、23等級ほどで見えているはずです。誰か大望遠鏡を使って試してくれないものでしょうか。。

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2018年、地球に大接近した周期彗星

1948年に発見された歴史のある彗星です。彗星名のカナ表記はブレが大きく、ウィルタネン、ビルタネン、ワータネンなどと表記されています。過去の文献ではビルターネン、ウイルターネンなどの表記も見られます。

私が初めて見たのは2008年の出現でした。光害の強い夕空での出現で、あまり良く見えた印象はありません。9等級の小彗星として見えただけです。5個の私の観測からはH20=9.3の標準等級が得られました。COBSの報告値ではもう少し明るく、8等台の報告も多かったようですが、集光度はDC=3~4と拡散気味でした。

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2013年の出現は、太陽の向こう側にあったため、地上からはほとんど見ることが出来ませんでした。

2018年の出現では12月に近日点を通過し、地球に0.07auまで大接近しました。この彗星としては発見以来最高の観測条件で、前後100年を見渡してもこれ以上の接近はありませんでした。

11月初旬にはまだ夕方の南の低空にあり、拡散した9等以下の淡い姿でしたが、急速に北上し、12月中旬には天頂付近で見上げることになりました。肉眼では4等級程度のかすかな姿でしたが、双眼鏡では拡散した大きなコマがわかりました。接近前は、小彗星が大きく見えるだけの平凡な姿かと思い期待していませんでしたが、望遠鏡で中心部をじっくり観察すると、コマの中に小さな尾が伸びる面白い姿を楽しめました。

接近後は夕空にまわり、さらに拡散したため、私の観測は2月の9等が最後になってしまいました。実はその後も1~2回眺めましたが、天候が悪くなってしまいました。

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今後、2024年の回帰は太陽の向こう側で見ることはできません。2029年の回帰では10月に近日点を通過し、夜明け前の空に10等級程度で見られるかもしれません。

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地球に接近した微小彗星

2017年10月に18等級で発見された新彗星です。彗星としては小型でしたが、地球に0.3au未満にまで接近し、さらに太陽に0.5auまで接近するため明るく見られるかも知れないと期待されました。

12月下旬、深夜の空に見え始めた時は拡散し非常に淡い姿でしたが、次第に集光を増し、さらに微かながら尾もわかるようになりました。ただ、微光であることには変わりなく、あまり見やすくならないまま夕空に移り、太陽に接近していきました。近日点通過後は条件が悪く、ほとんど観測されてないようです。

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大バーストを起こす遠方の遷移天体

2000年に発見され2004年に60558番小惑星として登録されたのが、このエケクルスエチェクラス)です。ところが、2005年に大規模なアウトバーストを起こし、それまでの20等級から14等級まで明るくなったため、彗星としても改めて登録され、現在では174P/エケクルス彗星とも呼ばれています。

エケクルス彗星はその後も数回のアウトバーストを起こし、2017年末には過去最大の13等級まで増光しました。この時は、12月9日に増光のニュースを得て、幸いその日のうちに見ることができました。20cmでは極限等級に近い13等級でしたが、バースト直後の恒星状だったことが幸いして確認できました。ただ、その後は急速に拡散したため1週間ほどで見えなくなってしまいました。個人的には、1995年のヘール・ボップ彗星(r=6.38)を上回り、日心距離では最遠の彗星観測となりました。

2015年にq=5.8auの近日点を通過していますが、2005年のバーストは遠日点と大差ない日心距離で起きているため、今後も目が離せません。

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ふたご座流星群の母天体

1983年に発見されたアポロ型小惑星で、発見時は太陽に最も接近する小惑星でした。発見時は仮符号1983 TBで呼ばれていました。「ふたご座流星群」の母天体としても有名で、かつて彗星だった天体が枯れ果て、今の小惑星の姿になったのだろうと思われていました。

ところが最近の観測では、今でも近日点通過の頃には増光しており、わずかな彗星活動が残っていることがわかってきています。彗星符号は与えられていませんが、このサイトでは特例として彗星(スケッチ)として扱いました。

この小惑星の存在を知ったのは1980年代・・・小学生の頃でしたが、実視で見る日が来るとは思っていませんでした。

2017年12月には、発見以来もっとも地球に接近し、10等まで明るくなりました。恒星状の変化に乏しい小惑星なので、1度だけ見て終わりにするつもりでしたが、移動が早く光度変化も大きかったため、結局、太陽の光芒に消えるまで10日間追い続けました。おかげで、位相による光度変化も確認することができました。

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標準等級は、G=0.15としてH=14.49とすると、極めてよく一致していました。12月17日の光度だけが明るく見積もりすぎていたのは、比較星がよくなかったためかも知れません。この日は光度がよく定まらなかったとの主旨のコメントをしています。

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天空を駆け抜けた刺客彗星

超新星や新星を発見しているグループASAS-SNによって初めて発見された新彗星です。近年の新彗星にしては珍しく、7月の発見直後から11等級の明るさで観測されたため注目されました。2017年10月14日にq=1.5auの近日点を通過しました。発見後、彗星は北上し、くじら座からおうし座、ペルセウス座、きりん座へとほぼ衝位置を移動し、好条件で見ることができました。

私の観測では9等台(各地の報告では8等台)まで増光しましたが、非常に拡散していて光度ほどには見やすくはなりませんでした。光度のピーク自体も近日点前に来てしまい、近日点通過後は急速に暗くなってしまいました。

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グラフ中、私の見積もりが赤、COBSによる他の観測者の見積もりが薄い青です。光度のピークを近日点通過の約60日前とすれば、うまく光度式を組むことができます(考慮しないと系統的なずれが出る)。私の光度が暗めになったのは、外側の淡いコマを見られなかったためと思われます。

2017O1coma.png (参考)コマ視直径のグラフ。

彗星名が「ASASSN」に決まるまで1ヶ月以上という異例の期間を要しました。当初、発見グループが提案していた「ASAS-SN」が、ハイフンが認められないとの理由で却下されたことなどにより、決定が遅れたようです(「天文ガイド」2017年11月号・P.26の記事による)。和名は「エイサスSN(エスエヌ)」「アサシン」(発見グループが自身の通称で用いている)と表記することが多いようです。なお、C/2004 R2(ASAS彗星)の発見グループASASとは別組織だそうです。

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明け方の低空でバーストを起こした彗星

2015年3月に20等級の小惑星として発見された彗星です。2016年5月9日頃にq=1.04auの近日点に達し、その少し前の4月にバーストを起こし9等級から7等級に急増光しました。

私が観測したのはこの4月のバーストの前後で、低空の靄がかった空でバースト前は9等級で辛うじて見えていた(スケッチすら取れなかった)ものが、1週間後には、コマの大きな7等星として突如視野に入ってきました。この直前にバーストを起こしていたC/2017 E4 ラヴジョイ彗星も同じ空に見えていました。

残念ながら2017年の夏季は例年になく天候が悪く、1ヶ月に1回しか見ることが出来ませんでしたが、コマの大きな集光のある彗星として楽しませてくれました。しかし、まだ光度を保っていた6月の観測が最後になり、7月以降の急減光する様子は観察できませんでした。写真では細い尾が写り、今(2017年11月)も非常に長い尾が伸びています。光度は、バーストのため正確な光度式は求められませんが、標準等級は6等程度だったようです。

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天文台の名前がついた最初?の彗星

1965年11月1日、中国・紫金山天文台の张钰哲により発見された周期彗星です。発見者名でなく天文台名が付けられたのは、当時の中国が文化大革命直前で、アメリカの天文電報中央局に発見者名などの詳細な情報が伝わってこなかった事情が挙げられます。今でこそ天文台名の彗星は珍しくはありませんが、(事情の違いこそあれ)これが天文台名が付いた初めての彗星だと思われます。同月11日には別の周期彗星・60P/紫金山第2彗星も発見され、第1彗星と同じような軌道で公転しています。

私がこの彗星を初めて見たのは2004年の回帰。近日点を衝の位置で迎える絶好の条件でしたが、極めて淡く、とにかく見るのが大変だった記憶があります。20cm望遠鏡を購入した直後で、それ以下の小口径だったらまず見えなかったでしょう。春の銀河の間を縫って行って写真映えしたようで、画像検索するとたくさんヒットします。2枚目のスケッチでも銀河が入り込んでいます。

2017年の回帰はかならずしも好条件ではありませんが、明け方の東の空で比較的明るく見ることができました。拡散していたため非常に淡い姿でしたが、同時に見えていた24P/ショーマス彗星よりは見やすい印象でした。私の6個の観測から無理やり計算するとk=55の極めて変化の激しい光度式が得られますが、COBSの報告値からも、近日点前の増光が極めて急であることがわかります。62P-2017mag.png

次回の近日点通過は2023年12月で、(北半球で)深夜の空高く見ることができます。計算によれば、木星の摂動により近日点距離が0.1au以上小さくなるため(過去数世紀で最短)、未知の明るさの変化が起きるかも知れません。近日点前の光度式を適用すると、計算上は肉眼彗星に達します。現実にはそこまで明るくならないでしょうが、この彗星としては過去最大の明るさになりそうです(5~8等?)。

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北天で息長く見られた彗星

2015年11月にカタリナ・スカイサーベイで発見された彗星です。当初は2017年6月の近日点通過頃に肉眼彗星まで発達すると期待されていましたが、増光ペースは鈍く、結局7~8等どまりでした。しかし、遠くにありながら尾は発達し、写真では見事なダストテールが観測されました。

私が初めて見たのは近日点から半年以上前の2016年11月。凝視してかろうじてわかる程度の小彗星に過ぎませんでした。それが、ゆっくりとしたペースでじわじわと増光し、比較的集光の強い彗星として長らく楽しめました。夜中の北天にあり観測条件としても良好でした。2017年6月には5cm双眼鏡でもわかる7等台の明るさまで発達し、眼視でもかすかな尾がわかりました。尾の方向は反太陽とは全く違って彗星軌道に沿った方向に伸び、その点でも興味深い彗星でした。

近日点通過の6月以降は天候不順が続き、しかも南天に下がってしまったため、ほとんど観測できず、若干消化不良気味に彗星の観測が終わってしまいました。南半球ではもう少し見えているはずです。

2015V2mag.png

得られた光度式は私の観測からはm1 = 7.05+5logΔ+6.22 log rで、log rの値が小さく、太陽に近づいてもほとんど発光が増えてなかったことがわかります。

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2017年の大接近

IMG_9725.jpgタットル・ジャコビニ・クレサック彗星(クレサク・クレサークとも)・・・長いですが、この名前だけでも歴史を感じさせてくれます。私がこの彗星の存在を知ったのは「彗星ガイドブック」に紹介された、1973年に14等だったものが4等までバーストして見えたという記述だったと思います(本の出版は1976年ですが、読んだのは1980年代後半か90年代)。

1995年にバーストを起こし8等級まで増光したそうですが、そのニュースを知ったのは1ヶ月遅れの天文雑誌で、天候も悪い時期で観測は間に合いませんでした。2000-1年に8等まで増光した回帰は、PCを購入してネットが繋がる直前だったので、情報を得られず見るチャンスに恵まれませんでした。9等まで増光した2006年の回帰も、夕方で、かつ天候が悪い時期だったので見逃してしまったようです。

そんな事情もあり、30年近く見逃し続けてきたこの彗星が、2017年春に地球に大接近し、今度こそは見える!と期待して臨み、ようやくその姿を拝むことが出来ました。

毎回のようにバーストを起こすため、今回は間近からその様子が見られるかもしれないと期待されましたが、結局バーストは起きなかったようです。0.14auまで接近したおかげで7等級(COBSでは6等)まで明るくなり、5cmクラスの双眼鏡でも見ることが出来ました。しかしながら非常に拡散していたため、空の条件に見え方は左右され、透明度が悪いと7等でも全く見えないほどでした。直前に接近した45P/本田・ムルコス・パジュサコバ彗星を連想させる姿でした。

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拡散していたおかげで光度測定は難しく、1等以上のばらつきがありますが、近日点に急増光するタイプらしいことはわかります。私の観測値からはm1 = 11.05+5logΔ+26.9 log r(一部の値を除く)が得られました。

今世紀中は、2017年を上回る接近は残念ながら起きないようです。

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6等で輝くも近日点前に崩壊。

2017年3月9日に15等の微光で発見された直後に急増光し、夜明け前の東天で6等に達して同じ方向に見えていたC/2015 ER61パンスターズ彗星と明るさを競いました。しかし、彗星頭部が変形していることが見出され、予想通り近日点通過(4月23日)を前にして崩壊・減光してしまいました。

明るく見えた期間は1ヶ月にも満たず、観測出来たのは4回(スケッチは3回)だけでした。明るさのピークは4月上旬で、尾もうっすらわかりましたが、この増光自体が崩壊の兆候だったようです。

4個の観測から得られた光度は、標準等級でH10=9.9等ですが、前述の通り彗星自体が崩壊しているので個々の値を満足させるものではありません。

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人工衛星で発見され、太陽近くで急増光した小彗星

2016年10月に、人工衛星NEOWISE(WISEから改称)によって微光の19等で発見された彗星です。当初は微光彗星で眼視的には厳しいだろうと思われていましたが、11月末に急増光しました。

12月前半には地球に0.7auまで接近して北天を大きく移動し、10等級で非常に拡散した姿をとらえることができました。その後は急速に南下しつつ太陽に接近し、明け方の低空では集光の強い姿に変貌。12月中には急増光していたため、肉眼等級まで明るくなる期待もありましたが、彗星自体が小さかったためか、翌年1月に太陽に接近しても7等級どまりでした。

非常に低い空に移動してしまったために、自宅ではなく近所の開けた田んぼまで出かけて、この彗星を追い続けました。私が最後に見たのは1月7日朝(6.86UT)で、10日の朝(9.87UT)にはもう見えなくなっていました。世界的にも近日点前の眼視観測は7UTどまりだったようです。q=0.3auで小型の彗星でしたが、近日点後も生き残ったようです。

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地球に大接近しつつ増光した短周期彗星

本来なら特筆することもない微光の短周期彗星ですが、2016年の回帰ではたまたま地球に大接近するために明るくなると予報されていました。天文年鑑2016年版には、南天で0.04auまで接近し9等級まで明るくなるものの、北上して日本から見える頃には11等まで減光するだろうとの記述が。そのため、一応期待はしつつも拡散して実際の観測は難しいだろうと思い、一度でも見えれば幸運という感じで構えていました。

ところが、3月に南天で見えだすと、南半球からは予報の10等を上回る観測報告が続々と寄せられ、近日点通過の3月15日を過ぎる頃には6等級をも上回り、肉眼での観測報告さえ寄せられるようになりました。

4月に入ると彗星は北上し、いよいよ日本でも射程に入ってきましたが、なかなか天候に恵まれず、満月すぎということもあって突如肉眼彗星が現れた!という感じには行かず、最初はかすかな小彗星のイメージでした。しかし北上して観測条件が向上すると、大きなコマの双眼鏡彗星として楽しむことができました。軌道面が黄道に近く、qが1auに近い短周期彗星だったため、地球と並走する形をとり、長らく地球と0.1au程度の接近した状態が続きました。これは百武彗星の最接近時よりも近い距離です。しばらく6等級前後の光度を保ち、その後は急減光してしまいました。

私の観測だけから光度式は求めにくく、H10=10.2、H20=9.7でしたが、COBSのデータベースでは光度のピークを近日点後40日に持ってくると暗い時期も含め、比較的良く光度を表現できます。標準等級がどの式でも10等前後なのは精度が良いわけではなく、単に近日点距離(=観測された時期)が1auに近いためです。

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0252Pcoma.png コマの実直径を調べてみると、3月初旬を原点として直線的に増大していることがわかります(CCD観測で0.003~4au/月の割合)もしかすると、この頃を境に彗星の活動が突如活性化したのかもしれません。

(蛇足)似たような番号の彗星が多いので、この252P/リニア彗星は「にこにー彗星」と覚えました。

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(まとめ)北天で半年間9等台を保った彗星

2015~16年の冬季に見えた3つのパンスターズ彗星のうち、真ん中の明るさの彗星で、長らく9等前後で北の空に見え続けていました。集光が強いため光度のわりには見やすく、最盛期にはかすかな尾もわかりました。

近日点は2015年12月に通過し、q=2.1auと遠めだったためか大きな変化もなく半年以上見続けることができました。自分の観測から得た光度式はm1=4.67+5logΔ+10.2log rでしたが、これには系統誤差があり、光度のピークを近日点後42日頃に持ってきたm1=0.62+5logΔ+21.9log r(t-42)の方が観測をうまく表現できます(COBSのデータベースから拾った観測でもほぼ同じ光度式が得られます)。実際、減光に転じて良い頃(2016年1月頃)になっても、しばらくは増光が続いていました。

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北天の空に見え続けた微光彗星(まとめ)

2015~2016年の冬季に見られた彗星のうち、もっとも微光に終始した彗星です。近日点距離は2.7auと遠めで光度も12等よりも明るくなりませんでしたが、北天高く位置し、集光度は強めだったおかげで20センチクラスの望遠鏡でも見ることができました。また、6等まで増光したC/2013 X1パンスターズ彗星と同じぐらい長い期間見え続けました。

一定の明るさで見え続けたように思えてしまいますが、この間何度か暗すぎて見出すことができない時期もありました。COBSのデータを細かく見ると、近日点通過した2016年3月前後の2~3ヶ月間は光度の落ち込みがあます。実際に彗星の光度が暗くなっていたのかもしれませんし、単に地平高度が低かったことによる効果かもしれません。

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グラフの光度式では、計算上は標準等級がマイナスになってしまいますが、日心距離の変化が小さくlog rの係数が求めにくいことも一因です。それでもH10=6.1、H15=3.9ほどで、太陽に近づけばC/2013 X1並に明るくなりうる彗星だったことはわかります。

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近日点前にバースト。6等級で地球に接近し南下した彗星(まとめ)

2015年末から2016年初の冬季には3つの「パンスターズ」彗星が同時に見られました。そのうち最も明るくなり、2016年夏に地球に接近しつつ南下していった彗星です。

発見は2013年ですが、視野に入ってきたのは2015年の秋。明け方の空高く見えていた微光彗星でした。もし1990年台以前だったら、10等級以上まで増光した頃にアマチュアによって夕方の空で発見されていたことでしょう。

次第に増光し夕方の空に回った翌年1月、急に1等以上明るくなりました(グラフ参照)。バーストを起こしたようですが、通常のアウトバーストとは違って集光度自体はあまり高くなりませんでした。

q=1.31auの近日点を通過した2016年4月頃に一旦太陽との合を迎え、2ヶ月のブランクの後、明け方の空に回ってきました。そのまま地球に接近するコースを辿ったため、コマ直径は増大し見かけ光度も増光しましたが、期待したほどではなく最大6等級にとどまりました。

6月下旬に地球に0.64auまで接近しましたが、赤緯マイナス50度近くまで南下し、さらにこの時期は天候が悪かったため、地球接近前の6月3日朝の双眼鏡観測が最後になってしまいました。7月9日夕方にも観測を試みましたが、(おそらく)8等級以下で見出すことはできませんでした。

夕方の空高く見えていた彗星が太陽に接近し、明け方の空で南下していくコースは、季節や背景の星座も相まって、1986年に接近したハレー彗星を連想しました。

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明け方の空に6等級で姿を現し、アンチテイルが発達した彗星(まとめ)

2013年に発見され、2015年11月15日にq=0.82auの近日点を通過した彗星です。近日点通過前は南半球でしか見られず、増光する様子をネット情報で知るしかありませんでしたが、近日点後の11月末からは北半球の明け方の低空でいきなり明るい彗星として現れました。

当初は4~5等級まで明るくなると期待されていましたが、ピークでも6等級程度にとどまりました。その代わり減光も緩やかで、地球に0.72auまで最接近した2016年1月半ば過ぎまでは6等台を保ち、北斗七星のそばを高速で通過していきました。彗星は初夏までの間、長く楽しむことができました。

近日点後の観測ということもあり、アンチテイルが顕著で、一時はイオンのメインテイルよりも目立って眼視でも見分けることができました。

私の観測からは、m1=5.93+5logΔ+8.54log rという、ゆるい光度変化の式が得られました(グラフ中の薄い青はCOBSの観測より引用)。

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まとめ。

2002年に発見された彗星で、当初は大彗星への成長が期待されましたが、結局肉眼ではわかりにくい地味な双眼鏡彗星に終わりました。それでも、近日点通過の直前には尾が伸び、彗星としては美しい姿になりました。

近日点通過の2003年2月18日前後には太陽観測衛星SOHOに見事な姿が捉えられ、もしかして~と淡い期待をして、昼間に太陽を屋根で隠しながら双眼鏡で周囲を見回しましたが、それらしい姿はまったくわかりませんでした。他にも同様の試みをした人は多かったようです。後に出現した昼間彗星、C/2006 P1マクノート彗星の姿に比べると圧倒的に小さいものでした。

近日点後は南下し、日本からは見えなくなりました。

当時の自分の観測からは、平均するとm1 = 7.95+5logΔ+10.26 log rという平凡な光度式が得られましたが、グラフからもわかるように、近日点に近づくにつれ増光ペースは遅くなっていきました。他の人の観測(グラフの水色)でも、2002年12月までは増光ペースが速かったので、大彗星として期待されていたことがわかります。

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まとめ。

2002年12月に発見された彗星です。翌年1月29日に0.19auまで太陽に接近するため、マイナス等級まで増光することが期待されましたが、実際には5等級止まりでした。年末年始には夕空低く増光する姿が見えました。地上から見えなくなったあとは、太陽観測衛星からその姿が観測され、近日点通過後は南半球に去っていってしまいました。

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1996年の大彗星。

1996年に出現した大彗星・百武彗星C/1996 B2の発見から、今日・1月31日でちょうど20年です。前年にはヘール・ボップ彗星C/1995 O1が発見されていましたが、明るくなるのはその翌年。私が彗星を見始めたのは1986年(ハレー彗星)なので、名実共に大彗星と呼べる彗星を見たのはこの百武彗星C/1996 B2が初めてでした。

ただ、それまでも大彗星になると言われて不発に終わる彗星は何個も見てきたので、この百武彗星が1等級の大彗星になると聞かされても(そしてヘール・ボップ彗星でさえも)半信半疑でした。

(インターネットを利用していなかった)私がこの発見を知るのは、本来であれば発見1ヶ月後の3月1日~5日発売の天文雑誌だったはずですが、大彗星の情報自体はマスコミにも伝わっていたので、発売前の比較的早い時期に存在を知ることができました。

しかし2月の段階ではまだ暗く一般人が見る明るさではなかったので、テレビや新聞からは正確な位置を知ることは出来ませんでした。そのため、例えば渋谷のプラネタリウムまで行って、その時の解説員の説明から近日点通過日やその距離などの断片的な情報を得たり(人見知りだったので直接解説員さんに軌道要素を聞きに行く勇気はなかった)、報道された発見位置などから、おおよその軌道を推定しました。そこから決定した大まかな位置から彗星「捜索」を行って、2月19日の朝、無事百武彗星を「発見」して観測することができました。

2016B2top.JPG 星図に記した「捜索」図。彗星があった位置はもう少し左で、そのページの書き込みは(残念ながら)消しゴムで消していました。

南に低く、ベランダから見えていたこの彗星は、既にかなり成長していて、明るい9等星として南の空に輝いていました。この時の輝きは、本当に大彗星になるかもしれない!?という期待を抱かせるには十分でした。

幸いこの年の春は天候に恵まれ、成長していく様子をつぶさに観測することができました。わずか数日観測が開いただけで見違えるほど巨大化。気づいた時には肉眼でもはっきりわかる彗星として成長していました。

地球最接近は3月25日頃でした。この時期、曇りの日も多く毎日観測することは出来ませんでしたが、24日には夜明け前の空の雲間から、丸い大きなコマが輝いているのがわかりました。この時はマイナス0.0等と観測しています。

最接近の頃はほぼ天の北極に位置していたので、一晩中彗星を見ることができ、晴れた晩には睡魔と戦いながら、しかし興奮しながら出来る限り彗星を見続けました。必ずしも透明度の良い空ではありませんでしたが、それでも北斗七星を貫く尾が淡く、しかし長く伸びているのがわかりました。どこまで伸びているのかまったく見当が付かず、とりあえず30°くらいと見積もりました。実際には最大で100°にも達し、彗星が見えないはずの南半球でも地平線から尾だけが見えたそうです。

彗星本体は全天で最も明るい星となって輝き、当時のFMラジオでパーソナリティーが「(横浜の空で)百武彗星を探したけど北極星しか見えなかった~」と話していたのを聞いて、「それが彗星だよ!」と頭の中でツッコミを入れたりもしていました。都会の空でも明るいコマだけはよく見えたようです。

1996B2_20160129.JPGめったに撮らない写真もフィルム1本ぶん撮りました。

地球最接近のあとは、5月1日の0.3auの近日点通過に向けて(一旦減光した後)さらに増光すると期待されました。しかしながら、形こそ彗星らしく尾が濃くなっていきましたが、光度としては2~3等級に落ちたままで4月中旬には太陽に接近して視界からは去ってしまいました。夕方の早い時間に路上で見ていたので、通りかかった人から声を掛けられることもありました。

近日点通過後は南半球に移ったため、日本から見ることは出来ませんでした。南半球では、形の美しい彗星として見られたものの、光度はあまり明るくなかったようです。

彗星のグラフ

1996B2mag.png

私が観測したのは2月19日から4月18日までのちょうど2ヶ月間。光度式はm1 = 5.68+5logΔ+9.83 log rという(ハレー彗星よりも暗い程度の)一般的な彗星で、地球接近によって0等級まで増光したことが分かります。

1996B2maga.png※絶対光度のグラフ

ただ、絶対光度(1auから見た光度)で改めて見ると、地球接近の頃に不自然に明るい(1等程度)ことがわかります。他の観測者の観測値COBSより)も同じ傾向にあります。後の研究では地球接近という絶好のタイミングでアウトバーストがあり、相乗効果で輝いて見えたようです。

1996B2coma.png

ためしにコマの実直径でプロットしてみると、近日点に近づくにつれコマが縮小していくという興味深い結果が得られました。これも、他の観測者の値でも似たような傾向が見られます。

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まとめ。

2003年4月に、q=0.71auの太陽に近い近日点を通過した彗星です。彗星名は「ジュエルス・オルボルセン」とも「ジュエルス・ホルボルセム」とも表記されています。彗星そのものよりも、この覚えにくい名前の印象の方が彗星としては記憶に残っています(おかげでスケッチ用紙には彗星名が書かれていません)。

近日点前には北天にありましたが、近日点後は南下しました。一時は肉眼等級まで明るくなると言われていましたが、増光は頭打ちになりました。また明け方で春先の天候の悪い時期とも重なり、私が見たのは近日点前の3回だけでした。得られた標準等級はH10=7.1でした。

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まとめ。

2003年10月に発見され、2005年4月にq=0.85auの近日点を通過する時には肉眼彗星になると期待されましたが、あまり増光せず7等止まりだった彗星です。

実際に見えたのはC/2004 Q2マックホルツ彗星と同じ時期で、増光前の微光時期です。あまり記憶にはありませんが、近日点前の3月には9等まで増光したところを確認できたようです。自分の3点の観測から標準等級H7.5=8.5等でした。素直にKを計算するとk=5.6しかありませんでした。

ダストが多く、非重力効果が非常に大きかった彗星だったようです(Unusual Comet C/2003 T4 ( LINEAR ))。

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まとめ。

2004年12月にq=2.0auの近日点を通過した彗星です。

終始11等級以下の微光で推移しましたが、観測条件はよく、またマックホルツ彗星と同じ空に見えたため、この明るさにしては多めの観測数(7個)が得られました。観測から得られた標準等級はH10=7.5等程度で、太陽に接近すればもっと明るくなりうる彗星でした。地球に接近した11月頃には10等以上に達したようですが、残念ながらその時の私の観測は空白でした。グラフ中薄い青はCOBSによるものです。

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まとめ。

2005年1月に地球に接近し、肉眼彗星となりました。近日点距離は地球軌道の外側のq=1.2auで、前年の夏に南天で発見されてから急速に北上したこと、3等級に達したことなど、約10年後に出現したラヴジョイ彗星C/2014 Q2を連想させます。そういえば彗星符号も年号の10の桁以外すべて同じです。

接近時、眼視的には尾は微かでしたが、大きなコマは印象的でした。ラヴジョイ彗星と違い、接近後は通常の彗星並みに減光していきました。

私の2004年9月から翌年5月までの目測ではm1 = 4.43+5logΔ+15.64 log rが得られました。ややlog rの係数が大きめですが、暗い時期を暗めに見積もっているようで、双眼鏡のみの値を採用するとk=10程度になります。グラフの薄い青で示したCOBSの観測値からはそれに近いk=9程度の値になるようです。

2004Q2mag.png

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まとめ。

2010年4月末に、近日点q=1.42auを通過した彗星で、5月中旬には天の北極を通過しました。最大でも8等級程度に増光しましたが、地味な彗星であまり印象には残っていません。

私が観測したのは2010年の2月から近日点後の5月まで。その後も明るい状態が続いていましたが、太陽の北に接近し、また天候の悪い時期と重なったため6月以降は観測できませんでした。6個の観測から得られた光度式はm1 = 4.5+5logΔ+21 log rでしたが、他の観測者の情報ではそこまでlog rの係数は大きくないようです。グラフ中、薄い青丸はCOBSによるものです。

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まとめ。

2011年の夏から翌年の春にかけての長期間、双眼鏡クラスの8等級以上を保ち、明るく見ることができた彗星です。q=1.55auの近日点を2011年のクリスマスに通過しています。近日点通過後にはイオンテイルとアンチテイルの尾が2本良く見えていたようです(写真で)。

ただ、個人的には(これを書いている2015年現在)あまり記憶に残っていません。長期間見えていて変化に乏しく、かつ天候不順が続いたせいかもしれませんし、2011年3月の巨大地震の後で、あまり空に関心が向いてなかったからかもしれません。

ほぼ月1回の頻度で、2011年7月から2012年5月までの期間、観測できました。光度式はm1 = 4.83+5logΔ+7.26 log rで、緩い変化にとどまりました。グラフ中、参考までに他の観測者の値(COBSより)を薄い青で示しました。私の見積もりは望遠鏡観測が多かったため、やや暗めだったようです。

2009Pmag.png

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まとめ。

2009年10月7日にq=2.25auの近日点を通過した彗星です。10等級程度の微光彗星に終始しました。本来ならあまり記憶にも残らないような小彗星ですが、10等の暗さにもかかわらず太い尾が明瞭に見えたことはよく覚えています。

光度は私の9つの観測(グラフの赤丸)からはm1 = 4.42+5logΔ+11.50 log rが得られました。グラフの薄い青はCOBSに掲載されている光度観測値で、実際にはもう少し明るかったようです。

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ハレー彗星から30年。

ハレー彗星は1986年2月9日に近日点を通過しました。最も有名な周期彗星で、ここで改めて説明するまでもないでしょう。私が初めて彗星を見たのは1985年12月2日、まさに今から30年前の今日です。

私が彗星の存在を知ったのは、確信はありませんが1982年に彗星が検出されたことをテレビニュースか何かで見た記憶があるので、その時かと思います。とはいえ、当時小学3年生だったので後付けの記憶かもしれません。

1985年頃になると、世の中でもハレー彗星が注目され始めました。テレビでも特番が組まれ、多くの関連書籍が出版されて望遠鏡も品薄になったほどです。1986年4月の最接近時はさそり座の南にまで南下した(日本で南中時に高度10度、欧州では地平線下に)ので、オーストラリア行きの観光客が殺到しました。

IMG_9946.JPG今も現役の5センチ7倍双眼鏡を買っ(てもらっ)たのは、この1985年の夏で、もちろんハレー彗星観測を念頭に置いていました。まだ彗星ブームは到来していなかったので、店員には「星座を見たい」といって選んだ記憶があります(「彗星を見たい」と言ってたら無知なカメラ店員に望遠鏡を押しつけられていたかもしれません)。実際に彗星を観測し始めてみると、双眼鏡では飽き足りず、結局翌1986年2月に8センチ屈折望遠鏡を買ってもらうことになります。

ところで、1986年のハレー彗星の回帰は条件が悪く、1985年11月末にほぼ衝の位置で地球に接近(第1次地球最接近と呼ばれた)した後、翌86年2月に太陽の向こう側で近日点通過を迎え、4月に南天低い位置で地球最接近(第2次最接近)を迎えました。

彗星の観測に初めてチャレンジしたのは、1985年の11月上旬。東の空に見え始めたおうし座の方向に、星図をたよりに双眼鏡を向けてみましたが、残念ながら見つけることは出来ませんでした。記録を残していなかったので、11月の何日かわかりませんでしたが、当時の雑誌の書き込みや天気から推測すると、11月10日頃だったようです。当時の光度は7~8等で、しかも彗星を見たことはなかったので手持ちの5センチ双眼鏡で見ることは困難だったようです。

IMG_9943.JPG彗星は、11月16日頃にプレアデス星団に接近しました。この頃は予想で7等。前週の観測失敗から1等級程度増光してるはずでしたが、まだ暗くて見えないだろうと勝手に判断して(さらには、天頂付近にある彗星をベランダから身を乗り出してみるのは面倒だったので)晴れていたのに、コタツでぬくぬくして結局見ることはありませんでした。翌月の天文雑誌に掲載された見事な星団とのツーショット写真を見て「あの時見ておけば良かった!」と、30年経った今でも後悔しています。

11月27日には一度も彗星を見ることなく第1次地球接近を迎えます。この日は晴れたので、双眼鏡片手に観測挑戦しましたが、強い満月光と低い透明度のために見ることは出来ず。またしても初観測は持ち越されました。

そして迎えた1985年12月2日。満月が去り、冬空で透明度は良好でした。星図をたよりに双眼鏡で頭上のうお座の方向の星空を探すと・・・「!!」ものの1、2分で丸い雲が見つかりました!人生で初めて見る彗星です。ほんの数日前まで見えなかったのが信じられないぐらいはっきりしていて、中心には恒星状の核があります。既に6等級に達していました。

IMG_9945.JPGこの時の彗星の姿は今でも脳裏に焼き付いていますが、観測から数年後に手に取った「彗星ガイドブック(関勉著)」の裏表紙に掲載されていた彗星の写真が、まさにこの時のハレー彗星の姿にそっくりで驚きました(1975年の小林・バーガー・ミロン彗星です)。

12月以降は冬晴れに恵まれ、特に1月はほぼ連日彗星を見ることが出来ました。晴れている日は透明度の善し悪しにかかわらず毎日ベランダ越しに見たので、うお座からみずがめ座に至る彗星経路の星の配列は今でも覚えていて、星雲星団や彗星を見る際、この付近に双眼鏡を向けるとハレー彗星のことを思い出します。

1月下旬、いったん西空低く彗星は姿を消します。その後8センチ屈折望遠鏡を手に入れて、2月下旬、9日に近日点を通過した彗星が明け方の東の空に姿を現すのを待ちかまえました。2月25日早朝、冬晴れの透明度の空の元、既にオレンジ色になった地平線付近の空を双眼鏡で探すも、明瞭な姿を見いだすことは出来ず(彗星状の雲があった)、翌26日に彗星と再会します。

3月に入ってからは毎朝早起きして天気を確認するのが日課となりました。いよいよ彗星らしい尾を引いた姿で楽しむことが出来ましたが、それも双眼鏡あっての観測で、肉眼では一度だけ目をこらしてようやく見れたという程度でした。4月以降は天候も悪化し、思うような観測は出来ず、数少ない晴天をぬってなんとか観測数を稼ぎました。既に彗星ブームが去った6月をもって彗星を見送りました。

この年の夏休みは(ほかにアイデアが浮かばなかったので)ハレー彗星の観測を夏休みの自由研究の宿題に決めました。夏休みにはもう見えてなかったものをテーマにするのは如何なものかと思いましたが、意外にも市内での賞を取って県レベルまで行ってしまいました。

半年以上に渡って、約50回も彗星を見ましたが、まだちゃんとした光度観測の知識もなかったし、写真を1枚も残さなかったので(家には一眼レフもあり、三脚さえ買っていれば撮れたのですが、天体写真を始めたのはその半年後でした)今にして思えばいろいろと心残りもあります。しかし、もしあと2年生まれるのが遅かったら、自力で彗星を見つけることは出来なかったでしょうし、逆に2年早く生まれていたら次の2061年の回帰まで生き抜くことはできないかもしれません。

光度観測のまねごともしました。「全光度」「集光度」の区別も付かない程度の知識しか持ち合わせていなかったので、かなり適当に決めていましたが、それでも近日点前の急増光と、近日点後の光度変化は追えました。彗星が去りゆく5~6月になってようやく光度観測に慣れてきた気がします(グラフ中、薄い青のプロットはCOBSに掲載されている観測値)。

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一応、近日点前はm1 = 4.9+5logΔ+13.9 log r、近日点後はm1 = 3.6+5logΔ+9.2log rの光度式が得られました。

ちなみに、この光度式を元に2061年の回帰条件を予想すると、2061年の4月に11等級(5月頃に太陽と合なので、夕空低い)、6月半ばには6等級に達し、近日点通過の7月末頃には0等級まで明るくなります(太陽離角は20度しかありませんが、太陽の北側を回り北半球で朝晩に見ることが出来ます)。9月までは6等級以上、さらに年をまたいで2062年始めまでは10等級以上を保ち、望遠鏡で観測できることになります。

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まとめ。

1996年、百武彗星C/1996 B2の後に出現した彗星です。Taburはタイバーともテイバーともタブールとも呼ばれてカタカナ表記が安定せず、議論になったほどです。

発見から程なく、1988年に出現したリラー彗星C/1988 A1と同一軌道上を公転する、分裂彗星であることが判明しました。1996年8月の発見後は安定して増光し、一時はリラー彗星以上に明るく見え、尾も伸びました。しかしリラー彗星と同様、明るいわりには恒星状の核があまり目立たない彗星でした。そして、10月下旬、それまで5等級で見えていたのに一気に8等級まで減光して驚きました。分裂核の小さい方だったのでしょう。近日点通過を前にして、そのまま拡散して見えなくなってしまいました。

このテイバー彗星の出現は、自分にとって彗星がまさに生き物であることを実感させてくれたもので、強く印象に残っています。

減光前の私の観測からはm1 = 7.53+5logΔ+9.89 log rの、彗星としては一般的な光度式が得られました。赤い○が私の観測です。薄い青はCOBS掲載分の観測値です。当時の自分は崩壊して本当に消え去ってしまったのかと思っていましたが、実際には拡散しながらも見え続けていたようです。拡散し、さらに低空に行ってしまったため暗めに見積もってしまったようです。

1996Q1mag.png

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まとめ。

1988年最初に発見された彗星です。カタカナ表記ではライラー彗星とも、リラー彗星とも書かれています。出現当時は英語風の「ライラー」表記の方が優勢でしたが、近年は「リラー」表記の方が多いようです。もっともスペイン語なら「リイェール」に近い発音でしょう(llはyやjに近い音なので)

この彗星は、私にとっては2年前のハレー以来、5つめに見た彗星でもあり強く印象に残っています。2月の夕方の低空に望遠鏡を向けて、何とか淡い姿を見いだした思い出がありますが、皮肉なことにその姿はゴーストか何かの見間違いだったようです。

彗星は2月まで夕方の空低く見えましたが、3月31日にq=0.84auの近日点を通過したあとは明け方の空にまわり、アンドロメダ座、カシオペヤ座、きりん座へと急速に北上し、春には天の北極近くで周極星として一晩中見ることが出来ました。

5月は晴天に恵まれ、周極星となった彗星を夕方と明け方の1日2回見ることが出来ました。特に、夕方の透明度の悪い時に淡くしか見えなかった彗星が、明け方の澄んだ空の下では尾がはっきりした明るい彗星として見え、観測条件による見え方の違いを強く印象づけられました。

当時の観測記録を見返すと、よく輝く内部コマの記述は多いものの、明るい彗星にありがちな、恒星状の核はほとんど見えなかったようです。今考えると、これは分裂彗星の特徴だったのかもしれません。この時は平凡な明るい彗星のひとつで、8年後、そして27年後に分裂彗星が発見されることになるとは思いもよりませんでした。

当時の16個の観測(同日の場合は明るいものを採用)から得られた光度式は、m1 = 6.07+5logΔ+10.74 log rでした。他の観測者の観測光度は、4月頃に5等級のピークがあったようです。その頃の私の観測値が6~7等と暗いのは低空だったためでしょう。グラフ中、赤丸が私の観測値で、COBSに掲載されている報告値を薄い青でプロットしてみました。

1988A1mag.png

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まとめ

現在、数多くのパンスターズ彗星が発見、観測されていますがその走りかもしれません。2013年春に大彗星になるかも~として一般にも話題になったパンスターズ彗星C/2011 L4です。結局(大方の天文ファンの予想通り)肉眼で見えるような大彗星とはなりませんでしたが、南半球でまず増光し、北上して北半球の観測者にはいきなり1等級の彗星として姿を現しました。

双眼鏡的な彗星ではありましたが、薄明の残る中伸びる尾の姿は美しく、彗星としては見事でした。北半球では減光して見えなくなるまでずっと追うことが出来ました。

光度式は全観測を用いてm1 = 5.62+5logΔ+9.45 log rで、安定した光度変化でした。近日点の頃の不確実な観測を省いた場合も大差ないm1 = 5.49+5logΔ+10.27 log rで、光度が安定していたなら近日点の頃の目測は実際より0.5等ほど暗かったのかもしれません。

2011L4mag.png

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まとめ

2014年の8月に発見され、翌2015年の1月に地球接近・近日点通過した彗星です。明るい彗星で1年近くにわたって観測できましたが、近日点距離が1.29auであまり太陽に接近しなかったのは残念です。

発見頃は南天に低く、日本からはほとんど見えませんでしたが、冬に明るくなった状態でいきなり見えだし、急速に北上して一気に肉眼彗星まで駆け上がりました。

集光の強いコマが特徴でしたが、太陽から遠かったためか、恒星状の核以外は目立った構造はなく、尾は淡く見えるにとどまりました。それでも写真では10度以上の尾が写ったようです。肉眼ではしばらく4等星の微星として見え、郊外の空ではそこそこ楽しめました。

1月末の近日点までの増光ペースが極めて速く、logrの係数kが40近くになるほどでした。このため、減光も早く4~5月には望遠鏡でも視界から消え去ると思っていました。ところが、近日点を過ぎても明るさは維持したままで、双眼鏡で見えなくなると思っていた3月になっても肉眼等級を維持していました。この頃に減光ペースを考察した記事を書いています。

その後も減光ペースは極めて遅く、k=8程度のペースで10月まで見え続けました。予想していた「7月」説と「12月」説の中間ぐらいの減光ペースだったようです。

2014Q2mag.png

この光度変化の原因はわかりませんが、コマ直径と何らかの関係はあるのかもしれません。この彗星は、近日点通過に向けて(他の彗星と同様に)コマ直径も大きくなりましたが、通過後も小さくはならずそのまま一定のスピードで拡大を続けました。

2014Q2coma.png

グラフ中◎は双眼鏡観測です。近日点通過後もコマ直径が拡大を続けていることが分かります。○の望遠鏡観測では、ペース自体が衰えることなく6月まで拡大を続けています。6月以降は小さくなっていますが、太陽から遠ざかり彗星自体が暗くなったため、外端が見えなくなってしまったのでしょう。通常なら拡散して見えなくなってしまうコマがそのまま見え続けたことが、光度の維持につながったのでしょう。コマ(塵)の成分に何らかの特徴があるのかもしれません。

コマ直径の拡大スピードは、2014年9月を起点とすると、望遠鏡測定では目分量で0.0007au/月=時速145キロメートル(双眼鏡はその約2倍)でした。

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まとめ。

2015年の夏頃に見られた微光彗星です。11等級程度にとどまったため、あまり注目はされませんでしたが、急増光して夜半に天頂近く位置したこともあり、観測はしやすい彗星でした。終始集光が強く小さいコマを維持し、近日点頃には尾も少し伸びました。

近日点通過の2015年8月10日頃は天候が悪く、残念ながら見ることは出来ませんでした。近日点距離は1.64auで、7月16日頃に衝の位置で0.76auまで地球に接近しました。

観測できたのは5回だけでしたが、得られた光度式はm1 = 5.01+5logΔ+29.54 log rで、確かに急増・減光したようです。コマの実直径は観測期間中0.0005au程度で一定していました。

2015F4mag.png

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周期3年の歴史的な彗星

周期がわずか3.3年の彗星としてよく知られています。2013年に周期3.2年の311P/パンスターズ彗星が発見されるまでは、最も短い周期の彗星として約200年もの間その地位にありました。かつては肉眼でも見えるほど明るかったそうですが、近年は少なくとも小望遠鏡でないと見ることは出来ません。

3年ごとに回帰するとはいえ近日点距離も0.3auしかないために、タイミングが合わないとなかなか見ることは出来ません。太陽から遠い時は拡散した姿で、太陽に近づくにつれ急速に集光度と輝きを増し、太陽離角が小さくなって視界から去っていきます。北半球では軌道の関係で近日点後の観測は非常に困難です。地球接近時は、太陽から遠いので拡散した姿で見えていることになります。

私が初めて見たのは1990年の近日点前に明け方の空に見えた時。彗星観測を始めてから5年後のことでした。この時は10月の明け方の空で1度しかチャンスはありませんでしたが、有名な彗星を初めて見れたということで、集光の強い姿を見た時の状況は今でもよく覚えています。標準等級はH10=11.0等でした。

1994年の回帰は冬だったため、良い天候の下で観測できました。当初は淡く拡散した姿でしたが、次第に増光・集光度を増しつつ夕方の低空に移動し太陽に接近していきました。わずか2週間でしたが、7個の観測から得られた光度式はm1 = 11.37+5logΔ+10.0 log rでした。

0002P-1994mag.png

つづく1997年5月と2000年9月の回帰は条件が悪く見ることは出来ませんでした。2003年12月の回帰は、近日点頃の条件は悪かったものの、0.2auまで地球に接近したため、近日点前の拡散した姿をとらえることができました。標準等級はH10=12.3等程度ですが、拡散していたために暗めに見積もった可能性があります。この後の2007年と2010年の回帰も北半球では条件が悪く見る機会はありませんでした。

2013年の回帰は、当時注目されていたC/2012 S1アイソン彗星など3彗星と同じ明け方の空に見え、観測時間の配分をするだけでも苦労するといううれしい悲鳴の下での観測でした。当初は非常に拡散した大きく淡い姿でしたが、急速に集光が強くなり輝きを増しながら、コマは小さくなり、太陽に接近して見えなくなりました。約1ヶ月間の8個の観測からは光度式m1 = 12.20+5logΔ+13.02 log rが得られました。k=10と仮定した標準等級はH10=11.73等で、過去の回帰とあまり変わりませんでした。

0002P-2013mag.png

2017年3月の回帰では、近日点前の2月頃、夕方の低空に10~9等級で見ることが出来ました。タイミングが合わず観測数は3個にとどまりましたが、次第に集光が強まっていく様子は観察できました。標準等級は、H10=11.6で、今までの回帰とほぼ同じでした。

今後、2020年6月の回帰では終始太陽離角が小さい上に、太陽から離れる頃には南天に移動するために観測は難しそうです。

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概要。

ボレリー彗星は近日点距離が1.3auほどの典型的な木星族の周期彗星です。近年は周期の端数が0.8~0.9年のため、好条件の回帰が数回続いたあとは、悪条件の回帰が何回か続きます。20世紀初頭に発見された歴史のある彗星ですが、1939年から1974年にかけては周期の端数が0.0年で且つ悪条件の回帰が続いたため、1981年まではあまりメジャーな彗星ではなかったようです。

私が初めて彗星を見たのは1987年の回帰。当時ハレー彗星とブラッドフィールド彗星(1987s)に次いで3番目に見た彗星で、特に木星族の短周期彗星としては初めてだったため印象に残っています。短周期彗星は暗いものばかりというイメージがあり、あまり期待しないで望遠鏡を向けましたが、意外と明るく良く見えたので驚いた記憶があります。

1987年の回帰

旧仮符号1987p=確定番号1987ⅩⅩⅩⅢ。近日点通過(12月18日)の直前に、くじら座で急速に北上してきたところを捉えたのが最初でした。光度からすればもう少し早く見ることが出来たはずですが、天文雑誌のコーナーで知ってから見たのと、まだ南に低かったこともあって初観測が12月中旬になったのでしょう。比較的集光があり恒星状の核が輝いていたのが印象的で今でも記憶にあります。当時夕方の空にはブラッドフィールド彗星(旧仮符号1987s)も見えていて、この2彗星を(さらに年末にはマクノート彗星1987b1も加わり)ずっと追っていました。

当時は、光度目測は適当に勘で見積もるだけの方法(いわゆるフィーリング法)で、今見返すとかなり不正確でばらつきも大きいものですが、近日点距離に依存して急激に増減光するタイプらしい、ということはわかりました。いくつかの観測を再検討して光度式を見積もるとm1 = 6.5+5logΔ+33 log r の値が得られました。標準等級はもう少し明るいかもしれません。

0019P-1987mag.png

1994年の回帰

旧仮符号1994l=確定番号1994ⅩⅩⅩ。1987年に次ぐ好条件の回帰で、1987年の25枚を上回る、27枚のスケッチを描きました。だいぶ前から狙っていたはずですが、初観測は近日点通過日の2週間前でした。急速に増光するタイプの彗星のようです。近日点通過後には8等台に達して見えました。

この回帰では彗星のコマが変形して強く潰れた形が写真等で捉えられましたが、観測している時はそんなことはまったく想像してなかったので、ただの円形のコマとしてスケッチしていました。小口径8センチだったせいもあるでしょうし、「コマは円形」という先入観がそうさせたのかもしれません。今後の観測の反省材料ともなった彗星でした。

光度も、まだフィーリング法で行っていたので測定値にばらつきがありますが、ほかの恒星との比較をスケッチに残していたので(当時は正確な恒星の光度を知るための星表を持っていなかったので)、今回の記事を書くに当たって一部の観測を再検討しました。光度式はm1 = 8.1+5logΔ+18 log r で、やはり光度変化の激しい彗星のようでした。この回帰も標準等級はもう少し明るいかもしれません。光度のピークをずらして計算すると、近日点通過の8日後頃に光度のピークがくる式が得られました。

0019P-1994mag.png

2001年の回帰

前2回と比べると観測条件が悪くなり、明け方の空で太陽の向こう側で近日点通過を迎えるようになりました。観測数は4個。近日点前の8月の観測が、近日点後の3つより明るめに観測されました。他の観測者の報告等によると実際に近日点前には明るく観測されていたようです。近日点後のみの3つの観測からはm1 = 5.6+5logΔ+34 log r、すべての観測からはH20=7.5でした。

この年には探査機「ディープスペース1」が接近して、細長いボレリー彗星の核が撮影されました。

2008年の回帰

いよいよ観測条件が悪くなり、明け方の低空でようやく1回だけ見ることが出来ました。近日点通過1ヶ月以上あとの観測で、標準等級を推定するとH20=5.5、H15=6.4でした。

2015年の回帰は、完全に太陽の向こう側で太陽離角が10度未満しかありません。太陽から離れて明け方の空に見え出す9月中旬には、楽観的に見ても12等級以下(H15=6.4)となっているでしょう。2022年の回帰では夕空に10等級程度(H20=7.5)で見え、2028年には好条件で7等台(同)に達するようです。

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ジャコビニ流星群の母天体

ジャコビニ・ツィンナー(ツイナー/ジンナーとも)彗星は、典型的な木星族の周期彗星で、彗星よりは関連流星群のジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)の方が圧倒的に有名でしょう。

この彗星の存在は、自分が小学生だった頃にハレー彗星が接近する少し前、何らかの情報源(たぶん天文雑誌や図鑑等)を元に、1985年に回帰することや探査機が接近することも知っていました。ただ、当時は5センチ双眼鏡(未だに現役!)しか持っていなかったため、8等程度と予報されていたこの彗星を見ることはできず、指をくわえるしかありませんでした。しかもこの時はジャコビニ流星群の大出現も見のがして、これも長らく心残りでした。

その後の回帰は地球からの条件が悪く見ることはできず、この彗星をいつか見てみたい!という願いは13年後の1998年10月になってようやく叶えられました。しかも(記憶にはありませんでしたが、スケッチを見返して)、彗星の初観測と流星群の出現は同じ日に起きたようです。この日は小惑星による恒星食もあって忙しい夜となりました。流星群の方は、まるで花火や雪片のように痕を残しながらゆっくりと舞う流れ星が特徴的で、今でもよく覚えています。

1998年の回帰では、8センチ屈折で9月16日以降2度の失敗ののち、10月8日にようやく小さい姿をとらえることができました。当初は集光が強い小さい姿だったのが、次第に大きくなり拡散していったようです。私が観測した限りでは光度式は近日点の前後で対称的でした。しかしより多くの観測からは近日点前の方が明るかったらしく、これは集光度の変化と関係しているのかもしれません。

21P-1998mag.png

続く2005年の回帰は明け方にあり、2012年の回帰は暗かったためか、観測はしていません。

そして2018年。この年の回帰は地球に0.4auまで接近するため期待されていました。夏の天候の良くない時期でしたが、北天で順調に7等まで増光しました。小彗星ではありますが、眼視でも尾の伸びる姿も楽しめました。9月の近日点後は急激に減光、冬の天の川に沿って急速に南下して視界から去っていきました。

光度式を求めてみると、私だけからの観測でも、COBS全体から求めた式でも、近日点通過前(12日前)に光度のピークを迎えていることがわかります。

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将来は、2031年、2051年、2058年などが好条件なようですが、近日点距離は今よりやや大きくなるようです。

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1989年の回帰~2059年の予想。

ブロルセン/ブローセン・メトカーフとも。周期約70年のハレー型の彗星です。その、ハレー彗星の3年後の1989年9月に回帰しました。この「大物彗星」の回帰は前年から心待ちにし、今でも思い出深い彗星です。

当時は、なかなか検出の報が入らないまま予報の近日点通過日が迫り、結局検出されたのは近日点のわずか2ヶ月前の7月3日でした。事前の予報での近日点通過日は9月27.6日でしたが実際には9月11.9日で15日も早く、しかも15等級の暗さだったため検出が遅れたようです。

7月中旬には急激に増光し、9等以上の明るさで眼視観測が始まっていたようですが、例によって私が検出を知ったのは翌月5日発売の天文雑誌上なので、観測はそれ以降となりました。

終始明け方の東の空に見え続け、真夏特有の湿気の多い真夜中に望遠鏡を向けた記憶があります。8月上旬には拡散した姿だったものが、下旬には急速に集光度を増し、尾が伸びていきました。観測は近日点通過前の9月6日が最後となり、1ヶ月観測しただけで東の低空に去ってしまいました。当時としては、光度測定をかなり慎重に行ったので比較的光度式もよく求まったようです。光度式はm1 = 8.51+5logΔ+10.4 log rで(同日観測は明るい方を採用)k=10という平均的な値が求められました。

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周期が70年なので、次の回帰は2059年です。今度はハレー彗星回帰の2年前です。今から楽しみであったのですが、計算によると、次回の近日点通過は2059年6月8日。それに基づいて位置推算すると、近日点の前後1ヶ月は太陽離角が20°以下で、しかも太陽から離れた頃には彗星は太陽の南側に位置します。

近日点前は3月の時点で太陽離角が13°しかなく、4月中旬に11等級で27°まで離れるものの、北半球での地平高度は薄明開始時に0°。6月8日の近日点頃には6等に達しますが太陽離角は5°しかありません。近日点後も、7月始めには8等級に減光する頃に太陽離角が20°を超えますが、南下するため薄明終了前に彗星は沈んでしまいます。どう見積もっても2059年には、北半球から眼視観測することは絶望的で、南半球で7月頃にごく地平付近に暗い彗星を見られるか、といったところでしょうか。

ハレー彗星の次に、人生を生きる目標にしてきたといっても過言ではないので、この記事を書くために位置推算をして絶望的な気持ちになりました。今から、なんとか観測する方法がないか思案しています。

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拡散しながらも急増光する短周期彗星

1911年に発見された歴史のある彗星で、過去には1951年の回帰でアウトバーストを起こし肉眼彗星になったこともあるそうです。

私が見たのは仮符号1992xとして呼ばれていた1993年の回帰と、四半世紀後の2017年の回帰の2回です(2018年現在)。

このうち、印象的だったのは1993年の回帰。近日点(q=1.2au)の頃にΔ=0.3auまで大接近して非常に好条件だったはずです。しかし、とにかく淡く拡散していて見るのが大変だった、という記憶しか残っていません。8センチ屈折だったので尚更です。最初のスケッチとして掲げた1993年1月のものの以前にも、1992年12月から5回も観測を試みましたが、いずれも暗すぎて観測には至らず。今回この記事を書くに当たりそれらのスケッチと改めて照合しましたが、やはり全部別物でした。

この回帰では近日点を過ぎても10等より明るくは見えず、暗いまま去ってしまいました。ただ、当時の光度目測は半分フィーリングで行っていたので、拡散して大きかったぶん、実際の光度はあと1~2等級高かった可能性はあります。実際、他の人の観測では8等台の報告もあったようです。

当時の観測から求めた光度式は、m1 = 9.1+5logΔ+34 log rでした。上記の事情もあり、標準等級は7~8等程度かも知れません。この彗星のk(log r の係数)はかなり高い(急増光する)ことで知られているので、式は大きく外れてはいないようです。

0024P-1993mag.png

続く2001年の回帰は初夏の太陽の近くで観測のチャンスがありませんでした。光度も10~14等だったようです。2009年は検出(再観測)すらされず地上で誰一人観測出来ませんでした。

2017年の回帰は近日点通過の頃のΔが1.5au程度もあり、1993年の光度式だとピークは12.6等しかありません。非常に拡散してあまり期待していませんでしたが、辛うじて明け方の空低く、淡い姿を見ることができました。やはり拡散していて、数回観測したのみで終了しました。観測数が少なくlog rの係数を求めるには至りませんでしたが、H20=9等、H35=8等程度の標準等級が得られました。

0024P-2017mag.png

次回2026年1月の回帰は好条件で、明け方の空高く見られるかも知れません。私の光度式でも9等級に達し、おそらくもっと明るく観測されることでしょう。

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概要。

アルファベットだと45P/Honda-Mrkos-Pajdušáková。長い名前の彗星です。近年では原音に近いといわれる「本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー」彗星とする表記の方が多くなっています。スロバキア語は(日本語と同じく)母音の長短を区別する言語なので、長音記号まで含めて表記するのが正しいようです。ただ、歴史的には「本田・ムルコス・パジュサコバ」彗星が長らく使用され、インターネット以前の文献でもほぼこの表記でしたので、ここでは馴染みのある名称を使用しています(そのうち変えるかも知れません)。

この彗星の存在を初めて意識したのが1990年の回帰の時です。ただ、予報光度が暗かったこともあって観測はせず、その回帰を報じた頃の天文雑誌で第一発見者の本田先生の訃報を知り、いつかこの彗星を観測したいと思ったものです。

その願いは次の1995年の回帰で叶えられました。太陽接近時には集光の非常に強い姿として捉えられ、一旦視野から外れましたが、地球接近時には今度は拡散した大きな姿として見ることが出来ました。軌道傾斜角が小さく、地球や木星と交差しているので頻繁にこの2星に接近し、軌道要素も大きく変わるようです。現在はq=0.53au程度ですが21世紀末には0.68auまで拡大するようです。

当時の私の観測からは、m1 = 14.01+5logΔ+19.9 log rの結果が得られました。また、コマ視直径は近日点通過頃でも地球接近頃でもほぼ変わらず0.001~0.0015auでした。2P/エンケ彗星同様、近日点通過頃は集光が強く(地球接近頃の)r=1auまで遠ざかると拡散するのがこの彗星の特徴です。

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2001年の回帰は記憶にありません。春頃に夕空で見えていたはずですが、9等以下であまり明るくなく天候が悪かったのかもしれません。2006年の回帰は太陽に近く、世界的に観測数が少なく私も見ることはできませんでした。

2011年の回帰の初観測は今でもよく覚えています。薄明が迫る中、なかなか東の空の屋根の上に姿を現さないので、少し歩いて低空の見渡せるところまで双眼鏡を持って探したところ、恒星状のこの彗星を発見し、しばらくして望遠鏡が設置してあるところまで戻って、ようやく屋根の上に姿を現したところを観測出来ました。観測はわずか3日で終わってしまいましたが、m1 = 13.3+5logΔ+21.7 log rという、1995年とあまりかわらない光度パラメータが得られました。この回帰では近日点通過前に地球に0.06auまで大接近しましたが彗星自体は増光前だったようです。

2016年12月末の回帰は1995年と似たような回帰条件でした。近日点通過前には夕方の西の低空にあり、12月初旬に11等以下から1日で(私の観測では)一気に9等まで増光。近日点通過後(12月31日)も増光を続け、6等台に達し5cm双眼鏡で見えるほどでした。

1月下旬には一旦太陽と重なる"内合"を迎え、2月に入ると、明け方の東天に姿を現しました。近日点前の強い集光の姿からは一変した拡散した姿で、地球に向けて一直線に接近。一気に天頂付近まで駆け上がり、2月11日頃に0.08auの地球最接近を迎えました。接近するにつれ、20cm望遠鏡でも非常にかすかな淡い姿がさらに拡散してしまいましたが、小口径の単眼鏡でも見えるとの報告があり、半信半疑で5cm双眼鏡を向けるとかすかなコマがわかりました。全光度としては7等程度あっても非常に拡散していて、この時期の光度報告はかなりばらついてしまっています。満月の時期と重なってしまいましたが、冬の透明度に助けられました。回帰前には、ここの記事に

コマ直径は満月大に達するかも知れません。

と書きましたが、実際に観測したコマ視直径は最大25'に達しました。

0045P-2016mag.png

この回帰で得られた光度式は、m1 = 12.32+5logΔ+16.64 log rで、1995年より明るいものでしたが、1995年当時の方がやや暗めに見積もっていたせいかも(特に地球接近時)しれません。光度自体は近日点の前後で対照的でした。

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2014年の回帰まとめ

20150504image1.JPG周期彗星番号でも分かる通り、19世紀末に発見された歴史ある彗星です。1919年には日本人により再発見され「フィンレー・佐々木彗星」と呼ばれていたこともあります。フィンレー彗星の存在は、彗星ガイドブック」などに掲載されていたこともあり、私が彗星を見始めた頃から知っていていました。なんとか一度は見てみたいとは思っていましたが、長らく回帰している間に衰えたようで、微光の回帰が続いていました。

そんな中、2014年の回帰は11等前後で微光ながら比較的好条件なので、期待して待機していました。同時にWikipediaの項目も貧弱なので(この回帰のタイミングにあわせて)加筆のために、各種文献に当たっていました。

2、3日後にはWikipediaの書き換えしようと漠然と思っていた12月18日の昼休み、携帯のブックマーク整理のため、たまたまcomet-mlを開いたところ「15P/Finlay in outburst」のタイトルが。慌ててリンク先を見ると8等級にアウトバーストしているらしい!?帰宅後すぐにベランダに望遠鏡を設置し予報位置に向けてみると、確かに明るく輝く彗星を見ることが出来ました。

幸いこの時期は連日のように晴天が続き、仕事も定時で終わったので(さらにはベランダに望遠鏡を設置したまますぐ観測できたので)、ほぼ毎日減光していく様子を観測することができました。その間、見かけ上火星にも大接近しました。そして12月末、月が太る頃には20センチを以てしても微かとなり、このまま衰弱して最終観測になることも覚悟して一旦観測を終えました。天候は良かったので満月下でもC/2014 Q2ラヴジョイ彗星の観測は続けました。

年が明け、2015年1月も好天は続きました。満月が去った直後、2週間ぶりの1月7日に再観測したところ、思いの外明るく強い集光の姿で再観測することができました。もしかすると近日点を迎えて彗星本来の活動が活発になったか?と思い、さらに今後再バーストする可能性もゼロではなかったので、監視のためにできるだけ毎日観測するようにしましたが、期待に反し1月13日まで観測を続けても彗星は衰弱する一方でした。

その後悪天候が3日間続き欠測してる間に、なんと(1月16日頃)彗星は前回をしのぐアウトバーストを起こしてしまいました。7等星に達する増光で、尾も伸び、5センチ双眼鏡でも光斑として見ることが出来ました。この彗星としては観測史上最大の光度でしょう。最初期こそ見逃しましたが、次第に減光する様子は詳細に観察出来ました。

再度のバーストを期待して見えなくなるまで連日観測を続けましたが、結局もうバーストが起きることはありませんでした。結局Wikipediaの書き換えも、観測に時間を取られて期間中は実現しませんでした。

2014年回帰で私の観測から算出した光度式はm1 = 8.4+5logΔ+28 log rでしたが、バーストも含む数字です。

0015P-2014mag.png

(バーストがない場合の)ベースとなる光度を適当に仮定して、観測値との差(O-C)をプロットすると、バーストの状況がわかりやすくなります。ここでは天文年鑑2014年版で採用されているm1 = 10.0+5logΔ+20 log rをベースにしてみました。

0015P-2014O-C.png

12月17日と1月16日のバーストの存在は知られていますが、1月7日頃?にも増光があるように見えます。実際、1月7日頃は彗星の集光度も高く、その後拡散するような姿を見せていました。もしかしたら第3のバーストがあったのかも知れません。ただ、他の人の観測も調べましたが、ちょうど満月の頃で観測数が少なく判断出来ませんでした。前日の1月6日も好天でしたが、満月のため観測をパスしたのが今でも心残りです。

(※2015年5月5日記載。将来の回帰を観測した場合はこのページを追記・書き換え予定です。)

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概要。

1994年に発見された短周期彗星です。発見の時は遅れて情報を知って見逃してしまったので、2009年の回帰が初めての観測になりました。

2009年の回帰では、なかなか明るくなってくれず本当に見られるのか心配でしたが、2008年11月に入って急増光しているとの情報が入って、ようやく12等以下の微光彗星として見いだせました。急ピッチで増光したものの、非常に拡散していて光度ほどの明るさは感じませんでした。冬の透明度がなければ観測自体が難しかったかも知れません。光度式は、m1 = 2.3+5logΔ+52 log という極めて急激な増減光をするタイプの式が求められましたが、系統的なズレが見られ、光度の極大を近日点24日後にずらしたm1 = 3.4+5logΔ+43 log r(t-24)の方が良く一致しています。

0144P-2009mag.png

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概要。

1994年に発見された短周期彗星です。発見後、複数の核に分裂していることが判明したため、それに伴う増光が起きていたようです。1994年の発見後、1999年に141Pの周期彗星番号が付与され、2005年に回帰しましたが、私が観測出来たのは(2015年現在)1994年のみです。2010年の回帰は観測(検出)されませんでした。2015年夏には好条件で回帰すると見られています。

1994年は、明け方の空に見えましたが、天候が悪く思うように見ることは出来ませんでした。予報位置を目標に観測していましたが、それからのズレが大きく、後に短周期彗星であると判明しました。当時のスケッチ等を再検証すると、観測していたのはすべてA核のようです。D核も最大9等近くで見えていたようですが、私は見ていません。

観測はわずか3個でしたが、標準等級はH(10)=11.0、H(20)=12.0程度でした。

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概要。

「ハリントン・アベル」「エーベル」とも。本来は微光の短周期彗星で、小口径での観測対象とはなり得ませんが、1999年の回帰ではバーストを起こして明るく観測されました。その後2006年、2014年に回帰しましたが、いずれも14等以下で観測されています。

1999年の回帰は、前年の夏頃にバーストを起こし何らかの方法で(まだネットに繋げる環境ではなかったので)、その情報を知ったのだと思います。試しに8センチの屈折で向けると、小さい姿を見ることが出来ました。当時はのちに290PとなるP/1998 U3などの微光彗星も同時に見えていました。終始小さく暗い姿でしたが、冬の透明度に助けられました。標準等級はH(10)=9.5、H(20)=7.0程度でした。

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概要。

文献によっては「ハートリー」「ハートレイ」とも。正式名称に「第2」はつきません。近日点付近で地球軌道まで近づく典型的な木星族の彗星です。かつてはq=2auを超える軌道だったものが、1947年と1971年に木星に接近してq=1.0となって地球付近まで降り、1986年に発見されたようです。1985年の回帰までは観測条件が悪く、1991年の回帰がこの彗星として初めての好条件の回帰となったようです(参照)。

集光の弱さと、近日点前後での光度変化の非対称性が特徴です。コマの実直径は3回の回帰でほぼ同じで、0.002au程度でした。2010年の回帰では探査機が接近し、2つの塊がくっついたような核の姿が捉えられました。(2015-05-02記)

2010年の回帰

2010年10月20日に地球に0.12auまで接近した回帰です。この接近はかなり以前から何かの書籍で知っていたので、待ち望んだ回帰でした。地球に接近したので、双眼鏡でも大きなコマが見えましたが、拡散していたため望遠鏡との光度の見積もりにかなりの差が出てしまいました。コマ視直径は20'にも達しましたが、実直径は過去の回帰と同じ0.002au程度だったようです。肉眼では視力の限りを尽くしてなんとか1回見ることが出来ました。短周期彗星を肉眼で見る機会はそうそう無いでしょう。

光度は過去2回同様「近日点前は急激に増光し、通過後にピークを迎えると緩やかに減光」するパターンでしたが、以前よりは近日点の前後での光度変化の差が小さくなって、対称的な変化に近づいているようにも見えます。観測数が少ないので確証はありませんが。

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1997年の回帰

1991年同様、集光の弱い姿が特徴でした。観測数が少なく、かつ光度変化幅が小さいため精度は良くありませんが、光度は1991年と同様近日点前急激に増光し、通過後にピークを迎えてから緩やかに減光したようです。

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1991年の回帰

初めての好条件での回帰でした。降りてきたばかりの新鮮な彗星だったため、どこまで明るく見える不安でしたが、ほぼ予想通りに増光し、集光の弱い大きなコマが特徴でした。新発見の周期彗星の観測は、当時の私にとってはほとんど初めてだったので非常に印象深かったことを覚えています。

光度をグラフ用紙にプロットすると、近日点前後で光度が非対称になっており、近日点後の方が光度が明るくなっていました。単純な光度式では表現出来ず、当時いろいろ考えた結果、標準等級(H)自体を近日点通過からの日数で(1次式で)スライドさせると1つの光度式ですべての観測をうまくフィットさせることができました(式自体は忘れてしまいましたが)。

近日点前の観測はm1 = 9.7+5logΔ+27log r、近日点後はm1 = 8.8+5logΔ+9.4log r。光度ピークをずらした場合は、m1 = 9.08+5logΔ+15.36 log r(t-20)で、近日点通過20日後にピークを迎える光度式が求まりました。近日点前は急激に増光し、通過後にピークを迎えると緩やかに減光したようです。

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まとめ。

(引き続き、過去の観測記録を発掘してアップしていくシリーズ)

今から13年前の、ちょうど今の時期に発見・観測された彗星です。彗星としては小型だったと思いますが、太陽に接近しつつかなり増光し、一時期は尾が良く見えました。

近日点通過後夕方に回ってきた時には、超低空の彗星を観測するために、望遠鏡を担いで近くの田んぼまで移動しました。集光した姿を発見した時には感動したのをよく覚えています。自動追尾のない8センチの屈折経緯台でしたので、導入自体が大変でした。この時の太陽離角を計算すると、わずか20°しか無かったようです。

わずか4個の観測しか出来ませんでしたが、m1 = 10.7+5logΔ+18 log r の光度式が得られました。log rの係数を15程度にすると発見時の光度も満足出来るようです。

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記憶にはありませんでしたが、同じ時期に153P/池谷・張彗星も見えていたようです。2年前、Wikipediaにこの彗星の記事を作成した時に気づきました。

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概要(1992年の回帰)

(過去の観測記録を発掘してアップしていくシリーズ)

最も有名な流星群である「ペルセウス座流星群」の母天体としてもよく知られた大きな彗星で、前回は1862年に回帰し、明るい肉眼彗星として観測されたそうです。

私が最初にこの彗星の存在を知ったのは、ある本にその母天体として紹介されていたのを読んだ時で「1980年回帰」というような記述がありました。見逃したらしい!?と思って落胆しましたが、少し後になって1980年には観測されてないことも知りました(ただし回帰していても小学校低学年なので見れなかったでしょう)。

1980年(頃)回帰説は、彗星の周期が約120年であり、そこから推算される前回の回帰が(大彗星なのに)観測されなかったことから、いくつかの仮定に基づいて計算されたものでした。一方で、1737Ⅱ(Kegler)彗星と同一と仮定した場合には1992年頃に回帰する(周期130年)と予想されていました。周期120年説の方が有名だったのは、当時決定された1737Ⅱ彗星の軌道が1862Ⅲ彗星とはかなり食い違っており、一見すると同一彗星とは思えなかったからでしょう(例えば軌道傾斜角はそれぞれ61度と113度でした)。

しかしその後、1992年回帰説の予報に近い位置で再発見されたのはよく知られた通りです。

私が最初に見たのは、当時の天文ガイドに再発見の報が掲載された後。直前に1992年説に基づいた回帰予想が同誌に掲載されていましたが、本当に再発見されたと知って驚きました。当時の仮符号は1992t(後の彗星符号で109P/1992 S2)でした。

当初微光の彗星でしたが、ぐんぐん明るさを増し、近日点通過頃の12月頃には夕空で5センチ双眼鏡でもよく見える5等星として輝きました。唯一残念だったのは、この彗星の回帰としては条件が悪く、太陽の裏側に回ってしまったことでしょうか。ペルセウス座流星群と同じ軌道を運行しているので、8月中旬に地球に接近するコースを取れば大彗星として輝くはずです。

当時の、1992年の私の観測から決定した光度式はm1 = 4.72+5logΔ+27.7 log r。この式は、9月28日の11.5等の発見観測をも満足しているようです。

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次回回帰は2126年7月12日。地球に0.15auまで大接近し、0等級まで増光して急速に南下するようです。この年まで長生きする自信はちょっとありませんが、一応楽しみにしておきます。ちなみにこの年の8年後2134年にはハレー彗星が回帰し、やはり地球に大接近します。

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まとめ。

2014年暮れに見られた2つの「ボリソフ彗星」のうち、太陽に近く増光した方の彗星です。とはいえ、近日点頃でも10等以下でした。

当初はC/2014 Q3の方のボリソフ彗星と同じような見え方でしたが、この2014R1の方は明け方の低空で11月に1.3auまで太陽に接近しました。ある程度集光した姿として見え、12月には増減光を繰り返した15P/フィンレー彗星と明るさを競うまでになりました。しかしながら10等級より明るくはならず微光彗星のまま視界から消えていきました。

2ヶ月間で変光幅1等の微妙な観測になりましたが、毎回光度決定に悩んだおかげか、ばらつきはあまりありませんでした。7個の観測からの光度式はm1= 7.59 + 5logΔ + 14.7log r。しかし、グラフでもわかるように、近日点を少し過ぎた頃にピークがあり、それを考慮すると m1=5.81 + 5logΔ + 27.4log r(t-12)で、こちらの方が1月中旬の非観測も含め良く表現出来ているようです。

この彗星の光度観測も、有り難いことに天文ガイドの「彗星ガイド」で予報光度の元として使用してくださっています。

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まとめ。

2014年暮れには2つの「ボリソフ彗星」が同時に見えていましたが、C/2014 Q3は北天でごく暗く見えていた方。2つのボリソフ彗星を同じ日に初観測しましたが、本当にごく淡く、北天の高い高度と冬の透明度、そして未明の光害の少ない空がなければまず無理だったでしょう。実際、夕方に一度試みた際は光害もあって見ることが出来ませんでした。海外の観測報告でも10等台の明るいものもあれば、13等の微光の報告もありました。非常に拡散していたため、測光のばらつきが大きかったようです。

興味深いのは、この彗星が周期約150年の短周期彗星だったことです。この拡散した見え方は、確かに同じような周期100年超のバーナード第2彗星やポンス・ガンバール彗星を彷彿させるものですし、急増光もこの周期性に由来しているのかも知れません。2160年頃には、やはり微光彗星として回帰するでしょう。彗星符号としてはP/2014 Q3が使用されても良い気がしますが、公式にはC/2014 Q3としてアナウンスされているようです。

20日間の3個の観測から得た標準等級はH10=9.4、H25=6.1、H50(MPC採用値)=0.6でした。

わずか3個の観測でしたが、ラヴジョイ彗星の影に隠れ観測が少なかったせいもあってか、なんと(畏れ多いことに)、天文ガイド中の「彗星ガイド」の記事では私(たち)の観測を元にした予報光度が使用されていました。

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まとめ。

ちょうど1年前の今日・3月4日未明に初めて観測した彗星で、2013年に1等級まで明るくなったC/2011 L4パンスターズ彗星とは別物です。

息の長い彗星で、7等以上にはならなかった代わりに尾が美しい彗星でそれなりに楽しめました。太陽に接近して5月を最後に一旦姿を消し、近日点を8月に通過して9月に再観測出来ました。この時は明るさを保っていたものの特徴的な尾は姿を消していました。その後、地球に接近しつつ南下し、10月の観測が最後になってしまいました。

年明けには再北上して10等級以下で夕方の空に見えたはずで、15P/フィンレー彗星の折りに何度か探しましたが、低空の上に暗すぎて再びその姿を捉えることは出来ませんでした。

近日点前からの7個の観測から決めた光度式はm1=5.04 + 5logΔ + 10.0log r。グラフからは近日点後の3個の観測は光度式より1等級ほど暗く、尾の衰弱と関係しているのかも知れません。なお、全観測を光度のピークを考慮して算出するとm1=5.81 + 5logΔ + 9.8log r(t+29)で、近日点1ヶ月前にピークが来ていたことになります。

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1995年の回帰。

(過去の観測記録を発掘してアップしていくシリーズ)

122P/デ・ヴィコ彗星(デ・ビコ、ド・ヴィコとも)は1846年に発見された彗星。1846ⅣまたはD/1846 D1の名称が与えられていた。70年余りの周期が計算されていたが、前回帰の1922年頃には検出されなかったため、1995年頃の回帰が本当にあるのか(天文年鑑等にも予報は載っていた)半信半疑だった。

IMG_2746.JPG理科年表1925年版(復刻)にも彗星の表記が。

再発見の報を知ったのは、当時の天文雑誌の11月号(天文ガイド)だったと思う。大学の食堂で、買った雑誌を食べながら読もうと思ってページを開いたら、いきなりこの情報を知って「ウソ!?」と驚いたことはよく覚えてる(20年経った今では彗星を見た記憶より、こちらの方が覚えている)。ロストコメットの再発見は単なる明るい新彗星よりも興味深い。

近日点近くでは強い集光のある明るい姿だったが、急速に衰えて1ヶ月ぐらいしかまともに見ることは出来なかった。

当時の観測(不正確を除く9個。同日の観測は明るい方のみ採用)からの光度式はm1 = 8.60 + 5logΔ + 16.38 log r。観測した時はあまり精度が良くないと思っていたが、意外と観測を再現出来ている。

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次回回帰は、2069年10月21日。ハレー彗星の8年後。ハレー彗星を見た後は、この彗星を目標に生きていけるかもしれない。

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概要。

文献によっては「ウィルド」「ビルド」「ワイルド」彗星とも記載されている。2006年に探査機・スターダストが接近し、史上初の小天体サンプルリターンを達成した彗星として知られている。特に変哲もない普通の短周期彗星で、初めて観測した時の1997年には、そのような歴史的な彗星になるとは思いもよらなかった。

2010年の回帰。

探査機接近直後で注目された回帰。見え方は1997年の時同様小さく集光した姿に終始したが、半年にわたって見え続ける息の長い観測となった。前回帰の2003年は、太陽の向こう側で観測出来なかった。

標準等級は、H10=8.82H20=6.63で、1997年の時より1等級ほど暗かった。また、今回帰も近日点通過前が明るかったが、(他者の観測とも照らし合わせると)通過後2ヶ月頃に若干増光していたようだ。

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1997年の回帰。

初めて挑戦した時は、8センチの小口径だったのであまり期待を持たずに望遠鏡を向けた。ところが、自分で位置推算した位置とは外れた場所に、予想外に明るい集光天体があったので、もしかして新彗星か!?と色めき立った記憶がある。何度も計算しなおして、結局計算間違いに気づいたが、報告先の電話番号を確認するところまでいった。

夜半前に南中したのに、最初の方の観測で夜半過ぎの時刻のものがあるのは24時まで夜勤があったため。その点も思い出深い。また、ちょうどヘール・ボップ彗星が接近している頃でもあった。近日点を前に観測が途切れてしまったが、春の悪天候とヘール・ボップ彗星の観測疲れがあったのかも知れない。

標準等級は、H10=7.88H20=5.45。ただし近日点前に光度のピークが来たようだ。

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1998年の回帰。

しし座流星群の母天体として知られている。1993年から、大流星群となった2001年まではほぼ毎年この流星群も眺めてきたが(今はサボっている)、同時にこの「テンペル・タットル彗星」の方にもかなり興味があった。待ち望んだ出現だったが、残念ながら初観測から最終観測まで、拡散した見えづらい姿に終始した。

各種文献には、この1998年の回帰では最大7等級に達したとされているが、実際のところは非常に拡散して(少なくとも私には)9等星程度にしか見えなかった。地球に接近したために(1998年1月17.5日に0.36au)コマは大きかったものの、近日点前で拡散していたせいかに非常に見えにくかった。近日点通過は2月28日だったが、低空に移動してしまい、その3週間前が最終観測になってしまった。

当時のスケッチにはその時「初観測」とした1998年1月19日以前にも、「自信はないがとりあえず描いておいた」スケッチが3枚あった。光度もそれ以降の確実な観測の光度式と連続せず(明るめに見積もっていた)、錯覚か何かだろうと処理して観測報告もしていなかった。また、当時持っていた最も詳細な星図は9.5等までのウラノメトリア星図だったで、スケッチした微星と彗星の相対位置を確認する術がなかった。このたび記事を書くに当たって、その3枚のスケッチの彗星・恒星の配置と時刻をGuide9.0で再現したところ、1月5日と7日の2枚のスケッチは確かに彗星を描いたものであることがわかった。

光度は、1998年1月5日から2月8日までの8観測からm1 = 9.93 + 5 logΔ + 21.4 log r。1月19日以降の6観測ではm1 = 9.64 + 5 logΔ + 28.8 log r

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33年周期のこの彗星の次の回帰は2031年5月20日。同年2月25日地球に0.79auまで接近する。Guide9.0を起動させたところ「近日点通過2031年~」と出てきた。ついこないだの出来事だと思っていたが、なんと既に遠日点を過ぎていたようだ。2031年の回帰は条件が悪く、前記の光度式並みなら1ヶ月前に夕空で12等級で見えるようだ。

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振り返る。

記憶の中では、そこそこ明るくなったものの、あまり十分な観測は出来なかったイメージだったが、改めて過去のスケッチを発掘してみると意外と多くの観測を残していたことに気づいた。ただ、明け方に回ってからは4月の悪天候に阻まれて、近日点通過直後にもかかわらず1ヶ月近く観測が開いてしまった。それが消化不良のイメージとして残っていたのかも知れない。

発見時には、あの池谷さんの名前がついた彗星をリアルタイムで見ることが出来るなんて!という感激もあったし(池谷・関彗星当時はまだ生まれてなかった)、尾の伸びがすばらしく、かすかではあるが肉眼で観測出来た彗星ともなった。

さらには、周期300年超という、史上最長周期が確定した周期彗星となったことも特筆すべきことだろう。1971年に出版された書籍(「彗星を追う」)にも、1661年彗星ヘベリウスの項目がある。(1995年から施行された彗星符号ではC/1661 C1)。観測時には、周期彗星番号は確定してなかったので、スケッチではすべて「C/2002 C1」と記載している。

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当時の観測から求めた光度式は、23個の観測(※)から、m1=6.87 + 5logΔ + 9.6log r。ただし、発見直後はそれより1等級ほど暗く、周期彗星にありがちな発見直後の急増光をしていたことがわかる。(※光度観測数は31だったが、同日に複数観測がある場合は最も明るいものを採用し、6月の2つの暗い観測を除いた。)

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次の回帰は、2362年8月2日頃(NK864による)。348年後にどのような姿で見えるのか今から楽しみだが、もしかするとそこまでは長生き出来ないかもしれない。

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1998/9年の回帰まとめ。

1998年に発見された新周期彗星。発見当時はP/1998 U3と呼ばれ、2013年に検出されP/2013 N1、そして290Pの周期彗星番号が振られた。発見時は、11等程度の微光ながら集光が強く、透明度の良い冬空の下でほぼ天頂にあったので、8センチ屈折の小望遠鏡でも見ることが出来た。近日点通過の1999年3月頃には逆に拡散してしまったので、若干のバースト状態にあったのかも知れない。

14年後の初回帰だった2013年は、同様の観測条件だったにもかかわらず、12等より明るくならず見る機会はなかった。

もともとは、8auを回る円軌道だったものが、1991年に土星に接近して今の軌道に降りてきて発見されたらしい。しかし、2020年には再び土星に接近して次回帰の近日点距離は2.1auから2.3auに大きくなってしまう。さらに2029年の回帰は7月で条件が悪く、その次の好条件回帰となる2045年1月まで待たねばならないが、それまで彗星のスタミナが保っているかどうかわからない。果たして、もう1回この彗星を見ることは叶うかどうか。

標準等級は、H10=7.2、またはH20=3.7

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ISON彗星から1年(まとめ)

ちょうど今から1年前は、ISON彗星がよろめきながらも増光し、そして見えなくなった頃。最近他の彗星についてのまとめ分を書いているが、このタイミングなので回想も兼ねてアイソン彗星について書いてみる。また、個別記事では過去の主なスケッチのポジ化も行った。

発見された頃は、いよいよqの小さい太陽をかすめる彗星を観測出来る!と心躍り、時々観測でお邪魔している開けた田んぼに行くたびに、地平線から真っ直ぐ伸びる尾を想像し、期待していた。ただ、大彗星のキルヒ彗星C/1680 V1との軌道の類似性が指摘されていたため、これも大彗星を裏付ける証拠であると同時に、もし本当に分裂核の副核だったら逆に消滅してしまうかもしれない、というのが唯一の不安であった。

その後、夏頃に太陽との合を迎える前の西空で、本来なら小望遠鏡でも見える明るさに達しているはずだったが、まったくそのような明るさには達しておらず、やや不安が募る。そして、合を過ぎて明け方の東の空に見え始めた時、その暗さにいよいよ不安が確信へと変わっていった。他のネット上の情報から推測すると、11月半ばには消滅してもおかしくない・・・少なくとも私はその覚悟で後の観測に臨んだ。

実際、その後の増光も非常に悪く、log rの係数が5程度という実質的にはまったく増光してない状態が続いたが、11月半ばに入ると、消滅せずに一気に増光を始めた。崩壊の前兆かもしれないが、あるいはもしかして・・!?との期待を抱き、晴れたらできる限りの観測に努めた。

幸いにして、11月19日朝以降は毎朝冬晴れが続き、増減光に一喜一憂しながら、最後に減光して見えなくなる24日朝まで見届けることができた。超低空だったので、普段の20センチではなく運びやすい11センチ望遠鏡を、開けた田んぼにまで持って行って観測を続けた。結局近日点を前に崩壊してしまったのはご承知の通り。

光度式は、16個の観測(1日に2つの観測があって双眼鏡観測がある場合は、そちらを優先)から、m1=8.32 + 5logΔ + 9.3log r。ただし、グラフでもわかるように、10月下旬~11月上旬はこれより低めの値で観測している。

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もし、消滅せずにこの光度式のまま増光していたら、近日点通過時にはマイナス8等に達していたかもしれない。

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2010年の回帰まとめ。

最近ではすっかり珍しくなった、眼視観測による発見です。微光だった周期彗星がアウトバーストを起こしたところを発見されたようです。仮符号は当初のC/2010 V1から、周期彗星であることがわかったのでP/2010 V1に切り替わりました。発見事情も興味深かったので、Wikipediaにもこの彗星の項目を作成してまとめてみました。

ネットの発見情報のおかげで、発見の公表からわずか1日後に見ることが出来ました。集光のある姿でしたが、すぐに拡散してしまいました。私の3個の観測からは、標準等級はH20=3.2が得られました

次回近日点通過は2016年3月で好条件の回帰となるはずでしたが、一向に検出されず、このまま行方不明になるかとも思いましたが、2016年1月になってようやく20等級で検出されたとの朗報が入りました。仮符号はP/2015 Y2。しかも分裂核も多数観測され、332Pの周期彗星番号が割り振られました。

(2014-11-24記。2016-03-02修正)

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まとめ。

前年に発見されていた彗星のバースト。ちょうど太陽の向こう側にいた時にバーストを起こし、東の空に見え始めた頃に増光が発見された。最初ネットに上がってきた画像を見て、英文を斜め読みしていたこともあって「なぜ今ごろホームズ彗星のバースト画像を上げてくるのだろう?」と素で思ったほど、ホームズ彗星によく似ていた。バーストする彗星は大体こんな感じのクラゲのように見えるのかも知れない。2013年秋当時は、接近しつつあるアイソン彗星とラブジョイ彗星、そして久しぶりの好条件のエンケ彗星が明け方の空に見えていて、ただでさえ忙しいのに!とまさにうれしい悲鳴の中でのバーストであった。

当初は日に日に拡散してゆく姿を見てこれまでかと思っていたが、次第に中央集光が強まり、結局普通の彗星としての性格が強まっていった。近日点通過は2014年2月下旬に1.6auであった。このバーストがきっかけで彗星表面が活性化したのかも知れない。

光度は近日点通過後もほぼ同じ水準を維持していたが、高度が次第に東の空低くなり、しかも天候の悪化する夏場に差し掛かってしまったので、まだ9等級を維持していた5月の観測が最後になってしまった。それでも半年間も同じような光度で見え続けていたことになる。

光度は、バーストを起こした直後は当然高いが、観測の取捨選択を試行錯誤すると、2013年12月半ば頃以降のみの光度を選択するとlog rの係数が10前後で安定するようになる(すべての観測を選択すると係数はマイナスなどの異常な値を取る)ので、この頃以降、バーストの影響が収まり通常の彗星活動が卓越しだしたと思われる。確かに、過去の観測を振り返ると12月半ば頃から中央集光が強まっている。

2013年12月27日以降の光度式は m1 = 4.8 + 5 logΔ + 11.3 log r

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まとめ。

春先に発見された彗星。夕方の空で明るくなっているという情報を元に探したが、なかなかとらえることが出来ず3度目にしてようやく拡散した微光の姿を捉えた。しかしどう見ても10等級以下で夕空の光害の元では非常に厳しかった。

しかし、近日点を通過後は予想を超える増光を見せ、地球に接近したこともあり6等級の肉眼彗星として明け方の東の空に見えた。双眼鏡でも見ることは出来たが、この夏は天候が非常に悪く、思うような観測は出来なかった。増光が激しかったせいか減光も素早く、わずか1ヶ月で6等級から9等級まで減光してしまった。最初に見え始めた頃のような拡散した姿に戻り、そのまま消え去ってしまった。

10個の光度観測(2個の双眼鏡観測を含む)から得られた光度式は、m1=7.1 + 5 logΔ + 15.4 log r。ただし、近日点の頃の増光は鈍く、実際には5等台には達したという報告はないようだ。

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まとめ。

現在周期彗星番号185Pが与えられている185P/Petriew ペトリュー彗星。初めて見たのは発見時であり、P/2001 Q2と呼ばれていた。まだ8センチ屈折で観測していた頃で、ごく小さく集光している姿で、それ自体に思い入れのあるものではなかった。しかし、軌道が103P/ハートレー第2彗星によく似ており、分裂した彗星ではないかと指摘されていたので記憶に残っている(現在はあまりその話は聞かないが、力学的・物理的に証明されたのだろうか?)

2007年に検出され、185P/2007 A3の符号が付けられたが、この時は暗く観測出来なかった。2012年の回帰では10等級に達したとされているが、天候が悪かったのか、それとも明け方で気が向かなかったのか観測はしなかった。2018年の回帰も、条件はいまいちのようだ。

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まとめ。

バーナード第2周期彗星といえば、100年以上前に発見され、過去に出版された本にも周期128年の彗星として掲載されている、知る人ぞ知るマイナーだが有名な彗星である。ポンス・ガンバール彗星のまとめを書いた時に掲載されている本の写真を載せたが、そこにもちゃんとこの彗星は載っていた。1889III彗星。またはD/1889 M1で、予報による検出が出来ない(行方不明)彗星の扱いであった。

その彗星が2006 M3として再発見されたと聞いて黙ってはいられない。しかも周期119年。本当に戻ってきたことも驚きだし、それを偶然キャッチできたリニアすげぇ(バーナード・リニア彗星にならなくて良かったけど)。何としても観測したい。しかし、当初は17等級で本当に増光するのか若干の不安はあった。

そんな心配をよそに、発見1ヶ月を待たずに急増光。8等級までになった。7月に地球に0.3auまで接近したことも幸いしたようだ。とはいえ、一応8等級とはいわれているが実際には非常に拡散して簡単に見える代物ではなかった。スケッチを見るまでまったく忘れていたが、初観測に成功するまで2回見逃していたらしい。観測時の測光も10等級で、DC=1-2という淡さ。おそらく大口径双眼鏡の低倍率では非常に大きく拡がったコマが見えたのだろうが、条件が悪いと途端に見えないようだ。結局天候の悪さも手伝って2回しか見ることが出来なかった。夏の湿った空気の夜に望遠鏡を持ち出したことは覚えている。この淡さはポンス・ガンバール彗星を彷彿とさせるが、それ以上に厳しい。長周期彗星の特徴なのか?

2127年の人類には「明るいと思って油断するな!」と伝えておくことにしよう。

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まとめ。

パンスターズ彗星やレモン彗星の影に隠れてまったく話題にならなかったが、2013年春の夕方の空に10等級以上の明るさで見えた。

情報を得た頃にはだいぶ西の空低くなっていたが、おうし座でなんとか1回見ることができた。しかし、透明度がよろしくなく、わずかばかり同定に不安があったので再観測したかったのだが、3回ほど試みたものの、2度とみることは出来なかった。従って各所への観測報告はしていない。

近日点通過は2013年5月でq=1.5au程度。南半球で10~9等級で見えているらしい。

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概要。

29Pは、木星の外側で時折バーストを起こしながら円軌道を描く彗星としてあまりにも有名。

通常15等級前後でそう簡単に見られるものでないと思っていたが、2004年9月にほぼ恒星状の光斑を見たのが初観測になった。ただ、どういう経緯でその時望遠鏡を向けていたのかは覚えておらず、20センチを購入したばかりだったので、目試しのつもりだったのかもしれないし、あるいは何らかのバーストの情報を得ていたのかもしれない。ともかく、運良くバースト初期を観測できた。その時はスケッチは残さなかったので、1週間後に初スケッチを描いた。

以降数年おきに何度かバーストの情報があると望遠鏡を向けたが、特筆すべきは2009年初のバーストで、前年暮れのバーストのあと、さらにバーストを起こし、11等級を上回る明るさとなった。そして8センチ屈折望遠鏡でも観測できた。木星以遠の彗星を見たのはヘール・ボップ彗星以来。

他のバーストを起こす彗星同様、最初は恒星状の核が輝きだし、次第に集光度を落としながらコマを拡大させていくのが特徴。全光度自体はほとんど下がらないが、拡散するので眼視的には次第に見えなくなる(光度が落ちるのは中心の集光部のみを測光するからだろう)。

昔はバーストするとIAUCに載るほど希有な現象のはずだったのに、近年はしょっちゅうバーストしているような印象を受ける。実際に彗星自体が活性化しているのかもしれないし、大口径を扱える彗星観測者が増えたせいかもしれない。

将来、木星軌道のトロヤ群小惑星の探査が計画されているが、この彗星の探査もぜひお願いしたいものだ。

観測継続中のため、今後も追記予定。

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まとめ。

216Pから219Pまですべてリニア彗星。個性のない名前でなぜこの彗星を観測していたのか思い出せなかったが、オリオン大星雲のそばを通過した彗星ということで思い出せた。彗星としての思い出や印象は特に残ってないが、前述のようにオリオン大星雲を通過したことや、新しい確定番号の付いた彗星としては何となく記憶している。

2009年の回帰は217P/2009 F3として検出された回帰らしい。近日点の1ヶ月前から急増光して小望遠鏡の視野に入っていたようだ。比較的大きい彗星なのか、次回2017年の回帰も太陽の向こう側で11等級まで明るくなるとか。

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まとめ。

レビー名の付いた彗星はいくつか発見されているが、2006年に土星のそばで発見された、短周期彗星。バーストを起こしたところを発見されたらしく、全天捜索の網をすり抜けての希少な眼視発見だったと思う。発見は10月2日なので、発見5日後の観測となった(その日まで晴天に恵まれなかったのだろう)。当時のスケッチはC/2006 T1の符号で書かれている。

10月8日朝は日曜で、その週の土日は東京までイベントに行っていたらしい。スケッチの文面が素っ気ないのはそのためか。

彗星としてはごく小さく微光で、特に記憶していることもない。ただ、無事次の回帰は2011 Y1として検出され、255Pとして周期彗星番号登録されたようだ。最大で13等級だったので、見ることは出来なかった。

qが1.0程度なので地球に接近すると大きくなるかと思ったが、2020年には木星に接近してq=0.84まで小さくなるらしい。将来はメジャーな周期彗星に成長してくれる可能性がある。

http://jcometobs.web.fc2.com/pcmtn/0255p.htm

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回想(2012)。

周期彗星番号の大きさでもわかるように、比較的最近発見された周期彗星で、1998年発見、2005年回帰らしい。本来15等級ぐらいだった彗星が、3回目の回帰にしてバースト、分裂してしまったようだ。9月半ば頃から増光を始め、近日点通過の10月1日頃には9~8等級で観測。この辺の光度曲線を見るに、もうちょっと早く見ておけば良かったと若干後悔してる。でも、新しい周期彗星がこれだけの明るさで見えることはめったにない。小さくよく集光した姿が印象的であったが、よくあるバースト彗星の例に漏れず、1ヶ月でしぼんでしまった。

もう二度と見ることはないかもしれないが、73Pみたいに表面がもろくなって次回帰もがんばってくれたらなぁと思う。

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まとめ

2012年12月に初めて見た時は、北天で、いきなり9等級の明るい彗星として観ることが出来た。しかも9等星でちっちゃいのに尾がはっきり見えて、形の上でも面白い彗星であった。12月末に地球に接近するため、多少期待はしたのだが、実際には拡散する一方で、1月には急速に拡散してしかも南下したので見えなくなってしまった。

名前はみんな同じで記憶に残りにくいが、「K5彗星」として覚えてる。

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まとめ

ロストコメットの2世紀ぶりの回帰。

C/2012 V4が1827年に出現して行方不明となったD/1827 M1ポンス・ガンバール彗星かもしれない、と最初に聞いた時は、聞き覚えのある有名な彗星がついに帰ってきた!と思った。周期が数十年に及ぶ行方不明彗星の回帰は、一生の間でもそうそう見れるものではない。昔買った本にもポンス・ガンバール彗星の情報は書いてあった。

20130511image.jpeg

右が「彗星を追う」(1971年)、左が「ギネスワールド・天文と宇宙」(1981年?)。どちらにも周期64年とある。2回の回帰が見逃されたのだろう。

ともかく、近日点通過前の12月の末に夕方の空低く見えるチャンスがあり、1度挑戦したが、残念ながら低空かつ10等級以下の明るさで見えなかった。その間に軌道が決定され、実は周期188年で、185年ぶりの初回帰であったことが判明した。なんと109P/スイフト・タットル彗星並みの大彗星(周期的な意味で)だった!軌道決定の難しさを改めて知る。

これはなんとしても期待せざるを得ない。前回は5等級ぐらいにはなったらしいし、今回帰も条件が悪いとは言え、計算上は8等級ぐらいになってもおかしくない。そう思って1月になってから明け方の空に姿を現すのを待ち構えた。

幸い、明け方の低空に姿を現した彗星を確認できた。しかし、淡い。もう少し高度が上がれば見やすくなるかもしれない・・・そう期待して何度も早起きして彗星を観測したが、どんどん拡散して光度が下がる一方。結局10等級よりは明るい姿としてはみることは出来なかった。1月末から2月始めにかけて条件の良い夜には、5分以上のかなり拡がったコマが見えたような気がしたが、あまり自信は持てず。

ともかく、回帰条件が悪く微光彗星の印象のままで去って行ってしまったのは残念。次回は2191年6月に近日点を通過して、地球に0.5auまで接近するらしい。さすがにこの時まで生きている自信はないが、2191年の人たちに観測記録が残ればいいなぁ・・

この文を書いている時に発見したが、60年以上のロストコメットでは、ドゥビアゴ彗星の他に、C/1884 A1 ロス彗星も行方不明で、しかも予報の近日点通過が2011年!これは期待せざるを得ない。

観測で得られた6個の光度より。光度式は m1=9.0 + 5 logΔ + 16.3 log r だった。

0273P.jpg

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観測記録一覧

わずか4日で大幅に減光した?!尾は痕跡だけになり、コマ中央部の輝きも弱まっている。光度は7.4等星より暗いが8.1等星よりは明るい。ただ、恒星状の核は11~12等で健在。5センチ双眼鏡では微かで測光を断念。

2013R1_017.png

IIIYYYYMnL YYYY MM DD.DD eM/mm.m:r AAA.ATF/xxxx /dd.ddnDC /t.ttmANG ICQ XX*OBSxx
   2013R1  2014 01 31.84 xB  7.8 HV 20.3T10  62   4    5  ?         ICQ XX AIKxx
   2012X1  2014 01 31.83 xB  9.2 TJ 20.3T10  62   4    4/           ICQ XX AIKxx

2週間でだいぶ暗くなることも覚悟していたが、2012 X1よりはずっと明るい。さすがに輝きは衰えたが、彗星としてはまだまだ明るい。ほぼ円形のよく集光したコマに、淡くなったが太い尾が伸びている。核は100倍で11~12等星。

5センチ7倍双眼鏡では4等星の近くの光斑として見える。

26.840UT m1=6.9, DC=6, dia=9', tail=? (5.0B7x)
26.844UT m1=7.0, DC=5-6, dia=4', tail=10'/330° (20.3T10 62x)

2013R1_016.png

こちらも100倍スケッチ。やはり集光の強さが際だっている。206倍ではちかくの12等星並みの明るさの恒星状の核。それを取り巻くコマの輝度も高い。いくつもの恒星の間を縫って尾が伸びている。

10.847UT m1=6.2, DC=7, dia=7', tail=0.5°/-° (5.0B7x)
10.854UT m2=12, DC=6, dia=3', tail=10'/320° (20.3T10 62x)

2013R1_015.png

C/2013 R1 ( Lovejoy )
IIIYYYYMnL YYYY MM DD.DD eM/mm.m:r AAA.ATF/xxxx /dd.ddnDC /t.ttmANG ICQ XX*OBSxx
   2013R1  2014 01 10.85 xB  6.2 HV  5.0B     7   7    7   0.5      ICQ XX AIKxx

次第に小さくなってはいるが、コマの集光は非常に強い。恒星状の核もある。尾は滑らかにすっと伸びている。

2013R1_014.png

6.844UT m1=6.1, DC=7, dia=8', tail=20'/-° (5.0B7x)

月が去って2週間ぶりの観測。その間に近日点を通過してしまった。

さらに小型化し、双眼鏡ではかつてのアイソン彗星を彷彿とさせるような小さい姿で、わずかに尾が伸びている。27.844UT m1=5.8, DC=7, dia=7', tail=0.5°/340° (5.0B7x)

20センチ62倍で非常に集光が強く、よく輝く。尾は若干淡くなったようにも思えるが、高度のせいかも。

2013R1_013.png

C/2013 R1 ( Lovejoy )
IIIYYYYMnL YYYY MM DD.DD eM/mm.m:r AAA.ATF/xxxx /dd.ddnDC /t.ttmANG ICQ XX*OBSxx
   2013R1  2013 12 27.84 xB  5.8 HV  5.0B     7   7    7   0.5  340 ICQ XX AIKxx
   2013R1  2013 12 27.85 x   6      20.3T10  62   4    6   15  m340 ICQ XX AIKxx

彗星と似た明るさの7等星がそばに並んでいる。スケールはさらに小さくなっているが、集光は強い。核の輝きが増しているように思える。M13と比較すると大きさはほぼ同じだが、彗星の方が明るさ・集光では上回っている。

5センチ双眼鏡でもM13とほぼ同じか、やや明るく集光している。7等星はコマにほぼ接している。13.826UT m1=5.6, DC=7, dia=10', tail=0.5°/330° (5.0B7x)

2013R1_012.png13.833UT m1=6, DC=6, dia=5', tail=20'/340° (20.3T10 x62)